「ポーランド関連イベント」報告 藤井 祥

「ポーランド関連イベント」報告 藤井 祥

日時
2016年3月15日(火)-16日(水)
場所
東京大学駒場Ⅰキャンパス 駒場ファカルティ・ハウス セミナー室S、18号館1階メディアラボ2

本イベントでは、米国・ミシガン大学のAndrzej T. Wierzbicki准教授とポーランドのアダム・ミツキェヴィチ大学のArtur Jarmolowski教授をお招きし、海外における学術研究のご経験について伺うとともに、今後研究者として国際的に活躍するうえでの助言をいただいた。15日はIHSプログラム生が研究や今後のキャリアパス構想について紹介し、お二人からさまざまな助言をいただいた。16日は、お二人がご自身の研究に関する講義をされたのち、研究者の国際的な活躍について議論された。本報告書では、報告者(藤井)が2日間でとくに重要だと感じた研究者としての心構えについて、両日の内容をまとめて記述したい。

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Wierzbicki准教授はポーランドで博士号を取得されたのち、研究員として米国に移られ、そのまま米国で教員として研究活動を続けられている。ミシガン大学の研究環境に満足されるいっぽうで、祖国から長く離れることへの不安もあるとのことだった。とくに、移民にとって米国は比較的受け入れられやすい社会であるがゆえに、ともするとその社会に同化してしまって自らの文化を見失うことにもなりかねない。そうならないために、Wierzbicki准教授はご家庭でポーランド語しか使わないといった工夫をされているそうだ。Jarmolowski教授もポーランドで博士号を取られ、米国や欧州の各地で研究をされていたが、1984年からポーランドに戻られ、アダム・ミツキェヴィチ大学の改革に貢献されている。教授の学生時代のポーランドは社会主義政権の統治下にあり、研究も生活も非常に制約されたものであったという。学位取得直後に渡米する機会を得られ、当時のポーランドとは比べ物にならないほど自由な環境で研究することができるようになった。それでもポーランドの大学に戻る決意をされた背景には、祖国の発展に貢献したいという強い思いがあったそうだ。こうしてみると、お二人とも祖国ポーランドに強く根差した心を持ちながら、国際的な活躍をされてきたことが分かる。

とはいえ、自国だけに閉じこもるのでなく、他国での経験を積むことが研究者には必要だと断言されていた。その理由の1つに、異なる環境に赴く回数が増えるほど、物事に対する考え方の多様性を知ることができるということを挙げられた。学問の重要性や意義を理解するには、同じ環境に留まっていてはいけないという。科学に対する態度も地域によって差異があり、他国での研究生活を経験することで、さまざまな考え方をする人と出会い、自らの学問の立ち位置や研究すべき対象について、より広い視野で考えられるようになり、理解を深められるのだと考えることができる。また、研究成果を知ってもらったり、研究を支援してもらったりするために、研究内容を紹介する際には、その重要性を2文程度で簡潔にまとめる能力が必要だというお話があったが、このような研究者としての表現能力を向上させるためにも、さまざまな視点を知っておくことが必要だろう。

外国での経験が重要なもう1つの理由として、自分とその研究について、国際的な知名度を高められるということを挙げられた。研究の質はもちろん知名度によって決まるわけではないが、より多くの人に知られることで、共同研究が増えたり、シンポジウムや学会に招かれる機会が増えたりすれば、新しい知識や建設的な意見を得る機会が多くなり、間接的に研究を向上させる効果も期待できる。この点においても、先述の表現能力が重要になることは間違いない。

このように、他国で研究活動を行うことで、研究への理解の深化と研究の発展が期待できるが、実際に外国へ赴くにあたって注意すべき点についても、お二人から助言をいただくことができた。まず、言葉については、とくに英語が上手である必要はないそうだ。実際に米国ではさまざまな国や地域から来た移民がそれぞれの訛りで話しているせいもあり、あまり気になることはないという。むしろ重要なのは話の中身であり、そこに興味をもってもらえるかどうかを考える必要がある。興味をそそられる内容であれば、聴き手が理解しようと努めるはずだ、というお二人のお言葉は心強くもあるいっぽうで、聴き手の知りたいと思う内容を、興味をそそるような文脈で話さなければ相手にされないということも意味している。

また、大学や研究所が外国の若手研究者を雇用するのはリスクと考え、受け入れられにくくなることも考えられる。お二人の場合はすでに知っている研究者に誘われて渡米されたとのことで、そのような機会があれば逃すべきでないのはいうまでもない。あるいは、雇用先にほとんどリスクを負わせることのない、短期の海外研修プログラムを利用することで、受け入れてもらいやすくなることも多いそうだ。その場合、外国にいる期間が短くなり、吸収できるものの量が減ってしまう可能性はあるが、複数の国や地域を訪れやすいという利点もあるといえる。

加えて、ポーランドと日本との違いについて、興味深いご指摘があった。とくにJarmolowski教授が初めて米国に移られた頃のポーランドでは、研究機材や資金の面でも、研究者の数・質の面でも米国に遠く及んでおらず、渡米して研究することの利点が大きかったという。現在は教授をはじめとする多くの人々の努力により学問を取り巻く状況は大きく改善しているが、博士研究員の給料が低いこともあり、外国へ出る若手研究者もいまだに多いそうだ。それと比較すると、今日の日本は世界的に見ると、物質的・金銭的に恵まれた状況にあり、研究の歴史も長く質的にも高い水準の研究が行われているようだ。そのため、現在の日本の若手研究者にとっては、当時のポーランドの研究者に比べて研究のために自国を離れる動機が弱くなる側面は否めない(Wierzbicki准教授もそのことは認めておられた)。しかし両先生が、それでもなお外国へ行く意味があるとおっしゃる背景には、外国での経験が物質・金銭・人材の面で直接研究を促進させるだけでなく、研究者の思考の変化や人的交流が研究を向上させたという実感があるのだろう。

日本では科学について日本語で高等教育が施されていることも、日本人にとって海外での研究を難しくしている側面があるのかもしれない。ポーランドでは最近は翻訳が進んでいるものの、英語やドイツ語が使われており、自国の言語で科学を語れる日本が羨ましいとおっしゃっていたのが印象的である。日本語で科学を表現できることは国内では科学を理解しやすくするという利点もあるため、単純に高等教育を英語化すればよいわけではなく、日本語と英語の組み合せ方を工夫する必要があるのだといえよう。

お二人とのお話の中で強く感じたことは、研究の要点を明確に言語化することの重要性と、そのために多様な環境での経験が必要なことだ。同じような環境に身を置きつづけることは快適で、研究を進めるうえでも合理的に感じられるが、ときには異なる環境に飛び込んで、異なる考え方や新しい視点を知る機会も重要である。そうすることで初めて、自分の立ち位置を相対化し、自らの行いの意義を考えることができ、より明確な目標を抱くことも可能になるのだろうと感じさせられた。

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報告日:2016年3月31日