「The role of therapeutic activities in recovery from mental illness」 川端 野乃子

「The role of therapeutic activities in recovery from mental illness」 川端 野乃子

日時
2016年10月7日(金)14:55-16:40
場所
東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館4階コラボ3
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

本講演では、Maggie Wheeler氏とPenny Holden氏のおふたりが、イギリスにおける精神疾患の治療の新しい取り組みとして “Sing Your Heart Out(以下SYHO)”の活動のご紹介をしてくださった。

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イギリスの精神医療の歴史

まずSYHOの活動の背景としてイギリスの精神医療の歴史をMaggie氏が概説された。イギリスでは17世紀から精神疾患を持つ人を対象とした法律が制定されてきたが、患者に対する正しい理解・適切な治療が実現されるには多くの時間を要した。イギリスに限られたことではないが、精神病患者は同情やあざけり、疎外の対象として捉えられがちであった。患者は都心から外れた隔離施設に集められ、特別な治療を受けた。数十年前までは、患者はベッドに寝かされ、時には拘束され、それを白衣の医師や看護師が治療する、という形態が一般的であった。しかし、政策の変化や第一次世界大戦によるPTSDの周知により、精神疾患の捉え方に転換がみられた。現在では、精神疾患を持つ人々のための施設はより身近に、よりコンパクトになり、身体的な疾患を対象とする病院とは一線を画するものになっている。

Maggie氏は、現在の精神病治療のアプローチは “Whole life” “Recovery” “Social inclusion” の3つの点で変化しているということを強調された。Whole life: 精神疾患はその人の一面でしかない。疾患はその人の特性の全てではなく、疾患を持ちながら、学生として、夫として、父として、サラリーマンとして生きていくことはできる。Recovery: 時に精神疾患は人生を通して付き合っていかなければならないものとなるが、治療によって改善する可能性は十分にある。Social inclusion: 精神疾患を持つ人も、持っていない人と同等の権利を認められるべきであり、彼らも社会の一部である。

Sing Your Heart Outの活動

こういった社会的な変化を踏まえて始動したのがSYHOだという。SYHOは、精神疾患を持つ人を含むすべての人たちを対象に、歌うことで人生をより豊かにしよう、という目的のもと、2004年に病院の一室を借りて始められた。SYHOの活動にはいくつかの特徴がある。ひとつには、プロのボイストレーナーがいること。精神疾患とその患者に対して深い理解を示すトレーナーが選ばれた。また、すべての人は平等であるという信念のもとにある活動であること。誰も参加者に、どういう問題を抱えているのか、なぜ来たのか、無理に問うことはしない。さらに、すべての人に開かれた活動であるということ。患者はもちろん、病院のスタッフ、人生をより豊かにしたいと思っている人、どんな人でも参加することができる。参加者は自分の意思で活動場所に集い、ボイストレーナーの指導のもと共に歌う。最初は小規模な活動だったが、賛同者が増え数々の賞を受賞すると、継続的な活動のための募金活動や病院外での活動も行うようになった。活動の過程で、参加者には歓迎している雰囲気を十分に伝える必要があること、ボイストレーナーの存在が極めて重要であること、アクセスのしやすさも見逃してはならないポイントであること、などを学んだとMaggie氏は言う。

近年、本講演で紹介されたような新しい治療の取り組みとその効果についての研究が進んでいる。SYHOのような「歌を歌う」という活動そのものに対しても、抑うつや自傷、統合失調症に対して効果的であるということが既に報告されている。新しい治療のアプローチが社会的に認められ、継続的な活動を行うにいたるためには、エビデンスに基づいた知見が重要となる。

Sing Your Heart Outの活動の意義

SYHOは、精神疾患を持つ人の助けになる活動であり、その治療効果はすでに確かめられている。そこにはまぎれもない大きな意義がある。また、それだけには留まらず、精神疾患の治療という領域において新しいモデルを提案するという点でも重要な役割を担うと考える。SYHOの活動モデルには複数の強みがある。参加者は、自由参加という原則に基づく受容感、個人について詮索をされないという安心感、歌うことによる開放感を得ることができる。また、週1度の開催を基本として継続性があることや、社会的な交流の場が提供されること、プロのコーチの指導が受けられることも、参加意欲や精神的健康への効果を高めている。こういった大枠のモデルを支えるために、お菓子の用意や歌詞カードの作成、楽曲の多様性、コーチの厳選など細かいところに気が配られている。

SYHOは「歌」に焦点を当てた活動であるが、そのモデルを利用し、内容のみを多様化させることは可能である。本講演でも、ガーデニングやウォーキングを活動内容とする団体があることが紹介された。今後、このSYHOのモデルがより定型化されれば、さらに様々な活動を対象として治療が発展していく可能性があるだろう。本講演では、SYHOの「モデルの強み」に焦点をあてた議論が展開されたが、ここで、あえて「歌を扱うSYHOならではの強み」について考えてみたい。講演で上映された、活動中の映像から、治療効果という点に対して2つの強みがあるという印象を受けた。第一に、参加者は互いの存在を強く感じることができるという点である。大きな輪を作って歌うためお互いの表情をみることができる。さらに、声を発するため、周りの人の存在を感覚的に捉えることができる。また、参加者は肩を組み手をつなぎ、輪を作って歌う。人の温もり、触れ合いというのは精神の健康の維持に重要な役割をもつ。第二に、音楽そのものが持つ効果である。音楽には、精神医学の領域において、内在化された怒りや攻撃性などの情動反応の緩和、気分や活動性の改善、治療者と患者関係の深まりといった効果がみられることが知られている。SYHOのモデルをベースに活動を多様化させることを考えたときに、それぞれの活動内容が持つ特徴を明確化することが必要である。

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これからのSing Your Heart Out

これまでの治療法とSYHOのモデルとの大きな相違点は、患者に治療をゆだねているというところにある。患者は活動に参加することを強要されず、自身の抱えている問題について触れられることもない。それ故に、自分のペースで各々の問題に向き合うことができるという利点がある。しかし、自由参加であるという原則を保つことにはもちろんデメリットもある。いかに活動が治療に効果的であっても参加してもらわなければその効力を発揮することはできない。また、活動の途中でドロップアウトした人や参加の意思はあるものの行動を起こすのを躊躇している人へのサポートも必要である。SYHOは「歌」に焦点をあてた団体だが、歌以外にも、スポーツや芸術といった活動内容の団体が増えれば、患者の最初の一歩を踏み出す機会も増えるだろう。SYHOはこれからの精神疾患の治療について新しい可能性を秘めているといえる。

報告日:2016年12月7日