2017年度宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校での哲学対話講習 報告 城 渚紗

2017年度宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校での哲学対話講習 報告 城 渚紗

日時
2017年9月20日(水)〜22日(金)
場所
宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

今回、全国的にも珍しい、中高一貫の全寮制方式を採用している五カ瀬中等教育学校での哲学対話講習にアシスタントとして参加させていただいた。五カ瀬中等教育学校は1学年40人の1クラスを基本としており、生徒は6年間を同じメンバーで過ごすことになる。全寮制かつ1学年40人と限られているため、先輩・後輩間の「タテ」の繋がりも強いが、6年間をともに過ごす「ヨコ」のつながりもまた非常に特別なものである。

寮生活について生徒に話を聞いたところ、最初の5年間は二人部屋、高校3年生に該当する6年生になると原則一人部屋(稀に二人部屋のケースもある)とのことであった。携帯電話の所持は認められていないため、保護者や家族との連絡は校内の公衆電話を利用している。食事も基本1日3食寮に付設した食堂でとり、学外へ出る機会は限られている。どのくらいのペースで帰省するのか尋ねたところ、1か月に一回程度の生徒もいれば、保護者の所在地によっては長期休暇を除いて自宅へ帰らない生徒もいるとのことだった。

哲学対話を実施するに当たって、「相手の意見にわかりやすく同意したり、批判したりするようなことを言わない」「どんな意見をいってもよい」「ボールを持っている人のみ発言する」など、いくつかルールが設定されている。

五カ瀬中等教育学校の生徒は、先に述べた通り、同じ40人で寝食を共にしながら長い時間を過ごすためか、生徒たちはお互いのことをよく知っており、多感な時期にありながらも互いに良好な関係を築くために気配りをしているのが大変印象的であった。このため、「どんな意見を言ってもよい」哲学対話において、生徒が気後れするのではないかという懸念も当初抱いたが、杞憂であった。

講習の初めに、共通の質問に対して一人持ち時間3分間で答え、その答えに対して他の参加者が質問を加えていく「質問ゲーム」を実施した。このゲームでは相手の意見とその理由について自分の考えを話すことよりも相手に「“問いかける”」ことがポイントとなってくる。初日に講習を行ったのは高校1年生に該当する4年生であった。設定された「問い」は「人間以外のものになるなら何がいい?」というものであったが、生徒たちはそれぞれ非常にユニークな回答と理由を聞かせてくれた。自身が参加したグループではそれぞれ「ハスキー犬」「クモ」「炊飯器」という回答が返ってきた。「ハスキー犬」「クモ」を挙げた生徒は、それぞれ「強いから」というのが理由の一部に含まれていたが、理由の説明の中でそれぞれ違う形で「強さ」を捉えていることがうかがえ、非常に興味深かった。

質問ゲームの後は、メンバーを入れ替え1グループの人数を増やし、ファシリテーションを実施した。ここでは「何を話し合うのか」という「問い」の設定自体も生徒自身が行った。「特殊能力が手に入るなら?」「実写化された漫画作品を読むか?」など、様々な案が出たが自身の参加したグループでは「死んだ後、どうなるのか?」という案が採用された。時計回りで一人ずつ「問い」に対する意見と理由を述べていく中、当初「死後何らかの形で自分の存在が残る」「何もなくなる」「誰かが覚えている限り心の中にいる」という大きくわけて3タイプの意見にわかれた。3番目は数が少なく、死後何らかの形で自分の存在が残ると考える生徒と死後は無になると考える生徒が4:3程度だったため、この対立軸で「問い」が続くのかと思われたが、実際には異なった。

「死後何らかの形で自分の存在が残る」と考えている生徒たちの「死後の行方」についての想像は実に多様性に富んでおり、予想に反し、生徒たちの関心は総じて「どういった形・方法で残るのか」へシフトしていっているようであった。たとえば、「死後、天国か地獄にいくのか?」「死んだらすぐ生まれ変わるのでは」「少しどこかにいて、また生まれてくるのでは?」「また人間になるのか?」など様々な問いや意見が出された。また、当初死んだら何もなくなると言っていた生徒の一人は、「魂とは何かのエネルギー体のようなもので、毎回その一部が人間に入り、死んでまた一部が生まれ変わって別の人間になるのでは」という意見を後半述べており、「有る」ことが前提で「死後の行方」について想像を膨らませていた。しかしながら、「未発見」の「エネルギー体」を想像していることから、オカルト的な要素を含む議論への抵抗感をぬぐえない様子もうかがえ、「科学的要素」を担保しようとしているのではないかとも推察される。

最後に1人ずつ感想を述べていく中で、「進行役」を務めてくれた生徒は「最初よりもわからなくなってしまった」という感想を述べていた。哲学対話は、議論の末に決定を行う場ではない。生徒たちはこの講習で何か解決方法を見つける必要もない。「最初よりもわからなくなった」というのは、様々な意見を聞き、これまでに考えたことのなかった問いかけについて考えた結果であり、熟考する以前よりも、一人だけで完結していたときよりも「理解は深まった」のである。

翌日は午前中に、3年生(中学3年生)を対象に前日同様質問ゲーム・ファシリテーションを実施し、午後からは5年生向けの書き方講座を実施した。書き方講座では、グループごとに大まかなテーマを選び、それに関連した「問い」をできるだけ多く挙げてもらった。その中から、特に関連性があると思われる「問い」を三つ選んでもらい、その問いに答え、理由を書くと言う作業を行ってもらった。このとき、どの順番で答えるとわかりやすいかを考えながら箇条書きを作成してもらった。

アシスタントとして入ったグループでは「将来」に関連した問いの中から3つ選んで、箇条書きにしてもらった後、口頭でそれぞれ発表をしてもらった。メモがあったことで、つまることなく発表はできたが、話の「順番」や「繋がり」に自分自身ですっきりとしない感触をおぼえたらしく、ところどころ当惑しながら話しているようだった。発表の後は、哲学対話講習のときのように、相手の発表に対して「問い」をどんどん出してもらった。何を聞かれたか簡単に書きとめるように指示した後、再度箇条書きにして発表してもらったが、発表への「問い」や自身の答えへの再考を通じて、「自分の考えを整理できた」という満足感がそこにあったようだ。

今回、アシスタント業務を通じ、自身もまた斬新でユニークな生徒たちの発想に気付かされることも多く、非常に貴重な経験を得ることができた。また、他者に問われ、時に自分に問いかける中でこれまでの「何となく」や「当たり前」を疑い、とまどいながらも積極的に取り組む生徒たちの姿に、私自身「成長」の一コマをのぞかせていただいたような感覚を覚えた。同時に、自身もまた「思考」することを放棄していないか、深める前に判断しようとしていないか、改めて省みる機会を得られた。多感な時期にある生徒たちだが、「問い」をたて「思考」した経験が、どこかで良いヒントになればと思う。

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報告日:2017年10月5日