島根研修「食・地域・記憶」 報告 高 琪琪

島根研修「食・地域・記憶」 報告 高 琪琪

日時
2018年2月22日(木)〜2月24日(土)
場所
島根県松江市および周辺地域
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力
島根大学総合理工学部、三重大学生物資源学部、島根大学法文学部

2018年2月22日から24日まで、島根県松江市にて教育プロジェクト2主催の研修が行われた。報告者は昨年度に続き2度目の参加となった。報告者はこれまでにも「食」、「地域」に関する研修に参加してきたが、新たに「記憶」という観点から今回の研修について振り返ってみたいと思う。

初日には松江城や宍道湖を含め、松江市内の史跡を見学した。平成27年に国宝に指定され、松江市のシンボルとなった松江城の天守閣は、オリジナルに極めて近い形で保存修復されている、山陰地方で唯一、日本全国現存十二の天守の一つである。自然の石を加工せず積み上げてできた荒っぽさのにじみ出る石垣も、外敵が攻めてきた際に守りやすくするための急な勾配がついた桐の階段も、400年という重厚な歴史を物語っている。

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その後我々は小泉八雲記念館ならびに八雲の旧居を訪問した。小泉八雲は「耳なし芳一」や「雪女」といった怪談の作者として有名な文学者であり、夏目漱石の前任として帝国大学文科で英文学を講じていた。小泉八雲はギリシアで生まれ、アイルランド、アメリカ、カリブ海マルティニーク島と、様々な地を経て日本に辿り着き、明治時代の日本で幸せな晩年を過ごした。今回我々が訪れた旧居とは、庭のある侍の屋敷に住みたいという八雲の願いにより、当時士族の根岸家から八雲に貸し出されたものである。屋敷の庭にある枯山水の観賞式庭園を眺めながら、「知られぬ日本の面影」を執筆している八雲の姿が容易に想像できる。

この旧居は、昭和になって国の史跡に指定されてから、国、島根県や松江市から補助金が支給され、修理費用に充てられた。私の母国では、世界遺産に登録されている「万里の長城」が消えかけていることが脳裏を過った。北京近郊に位置し、観光名所であるエリアは整備されているが、ほかは明以降殆ど修繕されずに、それに追い討ちをかけるような無謀なダム工事や鉄道建設、人為的取り壊しによって無残な姿になってしまった。文化財の保存や修復において財力はもちろん重要だが、その前に文化財を守りたい、後世に残したいという思いがないと何も始まらないと思わせてくれた。

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二日目は、出雲大社やその周辺の島根県立古代出雲歴史博物館を訪問した。「八百万」が示すように実に多くの神々があまねく存在する点に、日本人の宗教観の特色が窺える。神在祭に集まった全国の神々のお宿と言われている「十九社」や、神々が出雲大社で縁結びの会議をしている光景が描かれていた江戸時代の絵画を眺めると、当時の小泉八雲もきっとこの素朴なアニミズムに魅了されたことだろう。さらに、博物館にはさまざまな仮説に基づいて復元された伝説の巨大神殿の模型や、巨大神殿の存在を思わせる、出雲大社の地下から発掘された巨大な宇豆柱が展示されている。

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迎えた最終日、島根大学法文学部や総合理工学部の学生との合同ワークショップが開かれた。島根大学の学生たちが『古事記』や『出雲国風土記」をはじめ、出雲大社巨大神殿の諸仮説をも詳しく紹介してくれた。また、古民家の「屋根」の材料と室内温熱環境の研究も大変面白いものであった。一方、IHSのプログラム生たちは、生物物理、哲学などの観点から「記憶」について発表した。「記憶」の正体はさておき、昨年のイタリア研修で、文化遺産が「地域社会」(community)の「共同体意識」を喚起することが可能であり、考古学者には「地域社会」の「記憶」を創造する責任があるという「パブリック・アーキオロジー」(public archaeology)の理念を初めて知ることとなった。「共同体意識」が芽生えると、人々は彼らの共有財産である文化遺産を守りたくなるという。

明治の廃城令により解体の危機にあった松江城を、取り壊される寸前のところで、元松江藩士と豪農が救った。一方、八雲に屋敷を貸していた根岸家の人々により、旧居は八雲が住んでいた当時のままの姿で保存されてきた。有識者の努力が、地域を、さらには行政をも巻き込んできた一つの構図が窺える。島根大学では「島根の地域課題」と向き合うために、行政、商業、文化、地理などの多様な視点から学ぶ「島根学」の授業が開講されている。古民家の保存・修復に積極的に関わることは、「島根学」の実践であり、大学が自ら「地域社会」の「記憶」の継承という重責を担うことでもある。

研修の最後を飾ったのが、昨年度と同じくお茶会の体験学習だった。この日は幸運にも松江表千家の初釜を見学できた。松江藩主であり、江戸時代の大名茶人でもある松平不昧は生涯、茶の湯に積極的に取り組み、道具の収集と同時に、茶道具や和菓子の制作によって、地域産業の振興にも尽力したと言われている。今日まで伝わる楽山焼と布志名焼も、今でも名高い不昧公好みのお茶菓子も、「地域社会」の「記憶」を具現化した一例と言える。

出雲大社の「大屋根の檜皮の吹き替え」という作業には専門的技術が必要であり、平成の大遷宮の際には、過去の文献の研究や検証が功を奏し、昭和の遷宮では解明できなかった明治以前の技術を復活させた。また、次回の遷宮に向けてさまざまな寸法の記録や、ビデオ、写真を残す努力もなされたという。進歩した科学技術が、失われそうな「記憶」を取り戻させた。人々の文化財保護意識、地域志向教育・研究活動、そして行政制度の整備。文化継承のための処方箋となるか否かはこれから検証すべき課題だが、三者間の好循環モデルから見習うべきものが多々あると考える。

参考文献
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00196/

報告日:2018年3月12日