2017年度宮崎県立飯野高等学校での哲学対話研修 報告 吉田 直子

2017年度宮崎県立飯野高等学校での哲学対話研修 報告 吉田 直子

日時
2018年1月5日(金)〜7日(日)
場所
宮崎県立飯野高等学校
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

報告者は、2018年1月6日と7日の二日間、本学の梶谷真司先生が講師を務める哲学対話の研修に参加するため、宮崎県えびの市にある県立飯野高校を訪問した。

えびの市は宮崎県の南西端に位置しており、人口は2万人弱、熊本県と鹿児島県の両方に隣接する内陸の町である。霧島山のカルデラ内にあり、町のどこからでも美しい山並みを一望することができる。地下水が豊富に採れることから、コカ・コーラボトラーズジャパンが工場を置いているほか、3つの県境が交差する交通の要所でもあるためか、市内にある「道の駅えびの」は、日本自動車連盟(JAF)の会員が選ぶ「道の駅グランプリ」では九州・沖縄エリアの1位に選ばれたと聞いた。事実、我々も7日の昼前にこの道の駅に立ち寄ったが、3つの県の特産品や土産物、新鮮な野菜や肉が集まる店内は、多くの人でごったがえしていた。併設されているランチバイキングも行列ができるほどの混雑ぶりだったが、並べられた料理は地元で採れた野菜や鶏肉など、どれも素材の味をしっかり楽しめ、かつ手作りの温かみが感じられるものばかりで、その人気の高さも頷けるものだった。

そんな自然豊かなえびの市内唯一の県立高校が飯野高校である。大学進学を視野に入れた普通科が2クラス、専門学校への進学や就職を目指す生活文化科が1クラス設置されている。どちらの科でも地域に根ざした教育実践を重視している点と、生徒ひとりひとりに対応できる小規模校ならではの面倒見の良さが特徴的な学校である。ここで、6日は高校生を対象にした「書き方」講座が、7日は宮崎県の教職員による自主研究グループ Education for Sustainable Community主催、NPO法人グローカルアカデミー運営による「哲学対話×教育」をテーマにした教職員向けの研修会が開かれた。

6日の「書き方」講座には、飯野高校の1年生から3年生までの有志20名ほどが集まった。まず「なぜ文章が書けないのか?」という問いを糸口に、哲学対話の目的と、そのことに関連して文章を書くということ、そしてそのために問いを見つけることの重要性について梶谷先生からレクチャーがあった。次に、参加者が書く内容=考える内容を見つけるためにワークショップを行った。ここでは、みんなで出し合ったテーマの中から「趣味」と「将来」を選んだあと、2グループに分かれて輪になり、各々のテーマに対する問いを共有した。その後さらに5人ほどの小グループに分かれ、今度は各自がテーマとそれに対する問いを考えてはグループ内で共有することをくり返し、最終的にそれぞれが書きたいテーマについてのいくつかの問いとその応答で構成された簡単なドラフトができあがったところでワークショップはお開きとなった。

7日の教員研修には、梶谷先生とともに哲学対話を実践しておられる宮崎県立五ヶ瀬中等教育学校の上水先生と、グローカルアカデミー代表理事の田坂氏も加わり、まず前日の取り組みについて報告がなされたあと、哲学対話を学校現場でどのように取り入れることができるか、という問いを中心に意見交換が行われた。また飯野高校の国語科の先生のご提案により、昨年春に放送された民放ドラマの主題歌の歌詞を素材として、実際に哲学対話を試みた。

ここでは特に6日の「書き方」講座でのできごとについて書き記しておきたい。報告者は、最初のテーマ決めで「趣味」を選んだ生徒たちと行動をともにしたのだが、ある生徒は自分が好きなゲームの話を、いわゆる「マシンガントーク」でとても楽しそうに語っていた。ゲームのことは全く分からない報告者相手に、である。しかしあとから聞けば、普段はおとなしい生徒で、「あんなに生き生きと話す姿を初めて見た」と驚く先生もいらしたほどだった。私たちは「話すこと」は常に要求されるが、「聴いてもらう」経験を圧倒的に欠いているということを、自戒も込めてひどく痛感させられるできごとだった。一方、同じくゲームやアニメが大好きという別の生徒は、質問すれば一言二言返してくれるが、基本的には話すのも書くのも苦手とのことで、口数は終始少なかった。しかしこの講座は希望者の自主参加だと聞いていたので、なぜ参加しようと思ったのか、それとなく尋ねてみたところ、苦手だから何とかしたいと思って参加した、と答えてくれた。その生徒のレジュメには、梶谷先生がレクチャーの中で強調しておられた「自分らしく書く」という言葉が手書きで書き加えられていた。おそらくこの生徒は、自己表現をすることに対して不安や引け目を感じつつも、何とかこの状況を変えたいという思いを抱えていたのだろう。教育とは人が〈よりよく生きようとする力〉の発現という「自己創出」を支援する営みである(田中智志『何が教育思想と呼ばれるのか──共存在と超越性』一藝社, 2017年)という言葉が改めて染み込んでくるようなひとときだった。

ところで、研修の時間はもちろんのこと、私たちの送迎やえびの市の案内も引き受けてくださった飯野高校の梅北瑞輝先生の、「とにかくやってみよう」というチャレンジ精神、そしてその試みに他の先生方を巻き込んでいくパワーには大いに学ばされた。梅北先生によれば、そんなふうに考えられるようになったのは、前任校である通信制高校での経験に依るところが大きい、とのことだった。既存の学校教育とは異なる道を選んだ生徒ひとりひとりに向き合い、支援する際にマニュアルは通用しない。おそらく個々の特性やニーズに応じた新たな支援を都度模索してこられたのだろうし、生徒数が限られているという地方の事情もその試みを後押ししたことだろう。そのご経験が梅北先生の行動原理を支えているように感じた。さらに飯野高校では、地域での活動を多く行っているためか、6日の研修中の対話の中でも、地域の良さや課題について高い関心を持っている生徒が多い印象を受けた。進学のためにいったん離れても、地元に戻って働きたいというケースがほとんど、という話も聞いた。報告者はこれまで、東京都内の高校生や教員を対象にした哲学対話研修には何度か参加してきたものの、他県で実施される研修への参加はこれが初めてだったが、今回の研修では地方における学校教育の大きな可能性を見る思いで、非常に貴重な経験をさせてもらった。我々をあたたかく迎えてくださった梅北先生をはじめ、飯野高校の先生方や生徒さんには、改めて感謝を申し上げる次第である。

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報告日:2018年1月20日