「フランス研修──<生命のかたち>を考える」報告 相馬 尚之

「フランス研修──<生命のかたち>を考える」報告 相馬 尚之

日時
2016年9月7日(水)-15日(木)
場所
ボルドー、ニース、他フランス各地
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト1「生命のかたち」

本研修は、先史時代の洞窟遺跡および南仏に活動した作家らの描き出す生命の表象を通じて、人間がいかに「生命のかたち」に取り組んだか理解を深めるため9月7日から15日にかけてフランスで行われた。

前半にはフランス南西部のドルドーニュ県において洞窟や先史時代博物館の見学を行い、洞窟に動物の絵を描くという行為が先史時代の人類にいかなる意味を持っていたのか検討し、後半は南部に位置するニースと近郊のビオットを中心に、アンティーブやヴァンス、カップ・マルタンを巡り、ピカソやマティス、コルビュジェといった現代の芸術家の作品を鑑賞し、南仏というトポスとの関係を探った。

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1. 洞窟と壁画

今回の研修ではコンバレル、フォン・ド・ゴーム、ルーフィニャック、ラスコーの4か所の洞窟を訪れた。ラスコーは近くに作られた完全な複製「ラスコーⅡ」の見学となったが、そのほかの洞窟では、現在でも1万数千年前の人類の描いた壁画を見ることができた。コンバレルは馬やバイソンなどの線刻画が中心だが、フォン・ド・ゴームとルーフィニャックでは顔料を用いて動物が描かれており、いまなお当時の色彩が残されている。

内部でまず目を惹くのは、表面が非常に複雑な形象をしていることである。コンバレルでは入口付近から、地下水が壁面を滴り、晶出した鍾乳石や石筍が洞窟の表面を覆っている。ルーフィニャックでは岩盤内の固い部分が球形に取り残され、岩肌に無数に露出している。水流は長い時間をかけ岩の内部を侵食するとともに、誕生した洞窟の表面に数多の不可思議な装飾を施していった。

洞窟では、岩さえも成長し姿を変える。先史時代の人々が動物の姿をしるすのにこのような場所を選んだのは偶然ではない。だが内壁よりも重要なことは、洞窟が暗く狭く、地底へと緩やかに降りていくことであっただろう。

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今は洞窟の内部を見学することはそれほど難しいことではない。コンバレルやフォン・ド・ゴームでは、地面が1メートルほど掘られ人が歩いて通れるほどの高さが整えられており、ルーフィニャックではトロッコが敷かれている。しかし先史時代には、人が横になってかろうじて入ることができる程の広さしかない場所もあり、手元のランプのかすかな灯りのみで狭い洞窟を這い進むことは大変な難儀であったことがうかがえる。このように、顔が触れるような距離で眺めた洞窟の壁面に、人類の先祖たちは描くべき動物の姿を、かすかな火の揺らめきの中で見出したのである。

多くの洞窟で共通していることの一つに、洞窟の表面の凹凸や色調が動物と対応している点がある。岩肌のくぼみや円形の黒い箇所は、バイソンの腹や馬の目となり、大きな岩の突出は牛の頭となった。洞窟壁画は、動物の姿を描こうとした人間の創造性の産物というだけではなく、当時の人間が暗闇の中で洞窟の縁と対峙した際に、その奥から姿を現してきた動物の姿を他ならぬその地点にとどめようとした痕跡でもある。洞窟を這い進む中で、人類の先祖たちは岩肌にうごめく動物たちを幻視し、そこに手を伸ばしたのだ。

もっとも洞窟の内部は狭い通路のみではない。フォン・ド・ゴームには見上げると、見通すことのできない神秘的な空間が頭上に広がっている場所があり、またルーフィニャックには、当時は寝そべって入ることしかできなかったものの水平方向に広がったドーム型の大天井がある。そしてこのような開けた場所には、何匹もの動物が重なり合うように描かれている。

フォン・ド・ゴームでは人が立っただけでは届かないほど高い箇所にも壁画が残されているが、それには踏み台か足場を用いたのではないか、またルーフィニャックの大天井では、ヤギやマンモスが仰向けに横たわる人により一気呵成に描かれたのではないかとされている。絵を描くとき、また絵を見るとき、人は上を向くように誘導されていた。

動物は見上げるべき場所に描かれ、その上には見通すことのできないさらなる空間が広がっている。洞窟は地へと下る方向へと伸びていくが、むしろ古代の人々は、夜空のもとで仰いだ無数の星々の中に星座となる動物や神々を探したように──あるいは冥府への降下が常に地上や天上への帰還を期待させるように──洞窟の暗闇のなかに広がる岩肌の複雑な模様に動物を見出し、壁画を上を向いて描いたのだろう。洞窟を降りていくことは、同時に果てしない上昇への憧れであった。

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2. 南フランス

では洞窟がその閉塞性と暗闇のうちに高昇の望みを呼び覚ますのであれば、南フランスは何を訴えかけるのだろうか。

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9月のコート・ダジュールは照りつける太陽もあり30度に達しようかという気温だが、この陽光と暑気のなか、青い空と地中海が広がっている。海岸はこの太陽と海を求めた観光客で埋まり、山の斜面には名高いリゾート地にふさわしく豪勢な別荘が並んでいる。南フランスを覆っているのは、なによりもこの自然と人々の熱であり、もはやそこでは閉ざされた空間に引き籠っていることはできない。今回の研修でまわったロザリオ礼拝堂やピカソ美術館、カップ・マルタンは、地中海と南仏の太陽をどこまでも求めている。

ヴァンスに建つマティスのロザリオ礼拝堂は極めて簡潔な構造をしており、柱や天井に彫刻はなく真っ白な平面であり、装飾の絵も極度に単純化された聖ドミニクスと聖母子、そしてキリストの生涯にとどまるほか、通例に反し内陣を東側に取らないなど、礼拝堂としてはいささか奇妙な姿をしている。だが、「生命の木」と呼ばれるステンドグラスを南側に向けより多くの光が礼拝堂にさし込むようにしたことで、礼拝堂の白い床や壁の上には鮮やかな青や黄色の色彩が描き出される。マティスは青・緑・黄の三色のみのステンドグラスから差し入れる、しばしば暗く陰鬱な印象さえ与える教会や礼拝堂の壁さえ透過した南仏の光で堂内を満たすことによって、「聖なる空間」を南仏の地において開かれた空間へと造り変えたのだ。

そのような地で生きる人々の暮らしを滞在先となったニース近郊のビオットから眺めてみたい。ビオットは人口1万人ほどの小高い丘の上にある小さな町だが、そこでの暮らしは日本では思いもつかないような豊かさに満ちている。朝食にはカフェに近所の人々が集まり挨拶を交わし、夕方になると家の前に並べられた椅子でまだ明るい空が次第に赤く青く転じていくさまと涼やかな風を楽しみ、広場の噴水の周りには子供たちが集う。多くの芸術家がこの地に惹きつけられアトリエを構えているが、丘の上の工房から見下ろす地中海の景色と、彼らを受け入れる人々が、創作の源となるのだろう。

降り注ぐ太陽の熱に家の壁の溶け落ちる南フランスは、青空と地中海という生命あふれる水の世界へと人々が向かい、どこにでも開かれようとする大洋的世界であった。

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3. おわりに

洞窟への降下が高昇の衝動をもたらすのであれば、地中海と陽光は天上に開かれているようで──ニコラ・ド・スタールが海辺の家から身を投げ墜死し、コルビュジェが海水浴中に急死したように──不可思議な重力を以て人々を絡め取る。今回の研修で触れた「生命のかたち」は、ここではない場所への無限の憧れと共に人の生きる地上の引力の強さを示している。フランスの地を踏み、その重力圏をこの身で感じたことこそ研修の最大の成果であり、これから「生きる」うえで大切にすべき感覚であった。

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報告日:10月18日