ブルガリア・ソフィア大学カンファレンス
“The Enlightenment from a Non-Western Perspective”報告 崎濱 紗奈

ブルガリア・ソフィア大学カンファレンス
“The Enlightenment from a Non-Western Perspective”報告
崎濱 紗奈

日時
2016年5月21日(土)〜28日(土)
場所
ブルガリア・ソフィア市およびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

報告者(崎濱)はこの度、2016年5月23日〜26日の四日間にわたってブルガリア・ソフィア大学で開催されたInternational interdisciplinary conference “The Enlightenment from A Non-Western Perspective”に参加した。本会議は、ソフィア大学を中心として、グアナファト大学(メキシコ)、キエフ・モヒーラ・アカデミー国立大学(ウクライナ)、イスタンブールビルギー大学(トルコ)および東京大学の四つの大学間協定のもと、開催された(ただし残念ながら、イスタンブールビルギー大学は今回参加が叶わなかった)。このほか、セルビア、リトアニア、ロシアなど東欧諸国を中心として世界各地から参加者が集った。

今回の会議の主旨は、西欧に対する周縁地域から「啓蒙(Enlightenment)」という概念を問い直す、というものであった。「啓蒙」は、理性に基づいた合理的思考・行動を推奨するという意味において、近代化と不可分の関係にある。同時に、「遅れた」地域の教化・教導という名の下に帝国主義・植民地主義を正当化する役割も負ってきた。したがって、「非西洋的視点(Non-Western Perspective)」から「啓蒙」を再考することは、近代や帝国主義・植民地主義の問題を批判的に考察することに他ならない。実際、多くの発表者がこれらのトピックをそれぞれの観点から検討した。参加者の方法論は、哲学・社会学・歴史学・文学ときわめて多岐にわたっており、「interdisciplinary conference」という会議のタイトルに合致していた。また、東欧地域に関する発表が多く、これまで触れることのなかった歴史的事実や政治的状況を知る貴重な機会となった。発表・議論ともに大変刺激的で、きわめて有意義な四日間であった。

東京大学からは、共生のための国際哲学研究センター(UTCP)の川村覚文先生と、報告者(崎濱)の二名が参加した。川村先生はご発表で、近代日本の特異性── 一方では一見封建的な制度を残しつつ、他方では急速に近代化を成し遂げた──に言及しつつ、日本を代表する哲学者である西田幾多郎(1872–1945)の論理的問題を明らかにした。この中で先生は、戦時中の日本におけるファシズムのような、近代日本における種々の問題を、(例えば丸山眞男が主張したように)近代化の不徹底に求めるのではなく、むしろ、近代化というプロセスそのものが必然的に惹き起こすものとして検討する必要性を指摘した。また、崎濱は、沖縄研究の先駆者である思想家・伊波普猷(1876–1947)の思想を分析しつつ、日本の周縁地域である沖縄が辿った近代化の足跡を明らかにすることを目指した。発表では特に、伊波の宗教に対する態度を、1910年代初頭の宗教政策である「三教会同」との関係から検討した。ここから、①劣った沖縄/優れた日本本土という対立軸を無化するべく、「宗教」を普遍的概念として伊波が強く希求したこと、しかし、②沖縄における貧困を政治的・経済的構造面から検討するのではなく、あくまで個々人の内面改革(啓蒙)によって問題解決を図ろうとしたことから、結果として、統治のために人々を「臣民」として主体化する国策と同じ道をなぞってしまったことを指摘した。

ihs_r_2_160521_sofia_conference_01.jpg
ihs_r_2_160521_sofia_conference_02.jpg

刺激的な四日間の経験の中から今回、様々な思考の契機を頂いた。会議における議論はもとより、今回初めて訪れたソフィアという街もまた、多くの発見を提供してくれた。かつてオスマン帝国の支配下にあったことから、街の中心地にはモスクが建っている。そのすぐ近くには、オスマン支配下においてひそかに信仰を守った人々の手による小さな教会(ブルガリア正教)や、ユダヤの人々が集うシナゴーグもある。黒海を挟んで隣接するトルコ、南に接するギリシャ、北に位置するロシア、これら各方面から流れ込む文化が交錯する街、それがソフィアである。このような文化的背景に起因するアイデンティティの複雑さについて、ある参加者が行った発表は印象的だった。彼女は、ブルガリアとロシアの関係性にも言及した。歴史的に、ロシアはブルガリアに対して西欧の文化を伝達する媒介者であったこと、オスマン帝国からの解放者であったこと、続く共産主義時代においてソ連が圧倒的な影響力を保持していたこと、今も経済的にかなりの部分をロシアに依存せざるを得ないこと。圧倒的な権力の非対称が存在する中で、ブルガリアのロシアに対する感情は複雑であることが垣間見えた。

このように、ヨーロッパ世界における周縁としてのブルガリアを確認することができた一方で、もう一つ興味深い発見があった。それは、東欧世界に暮らす人々にとって、東アジアとは、文字通り「極東」であり、彼らの概念地図において日本は遥か遠くに位置付けられる場所である、ということだ。アジアのほかにも、アフリカや太平洋諸国、南アジアや中東世界のことなど、様々な制限からどうしても取りこぼしてしまうトピックも当然ながら存在した。

一般的に、東アジアの言説空間において「非西洋(non-western)」という言葉を用いた場合、それは「アジア」を指すだろう。しかし、東欧の言説空間において「非西洋(non-western)」とは第一に「東欧(eastern Europe)」を指し示す。裏を返せば西洋(western)とはすなわち西欧(western Europe)を指すということだ。今回議論する中で感じたのは、近代日本の問題を伝えるための前提を、我々はあまり多く共有していないということだ。まして沖縄という「極東」の更なる周縁について話そうとするとき、一層、発話を工夫しなければならない。西欧に対する東欧、ヨーロッパに対するアジア、アジアにおける帝国主義とその周縁、というように、幾重にも及ぶ関係性が存在する中で、真に「学際的」な対話を行うことにはやはり困難が伴う。個別の事象をいかに普遍的な次元で語り得るのか、という問いがある一方で、哲学のような普遍的な言説はいかにして歴史的事実に向き合うことができるのか、という問いも生じる。時間的・空間的な広がりに対する丁寧な視点、および、それを踏まえた上で行われる哲学的思考、そのどちらもが必要とされていることを痛感した。

報告日:2016年6月11日