香港研修「香港で考える東アジアの共生」報告 小泉 佑介

香港研修「香港で考える東アジアの共生」報告 小泉 佑介

日時
2016年3月28日(月)〜3月31日(木)
場所
香港市内およびその周辺
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

今回の香港研修には5名の学生が参加して、香港城市大学とのワークショップ、および香港歴史博物館での現地研修を実施した。滞在期間は3泊4日であったが、各日程の研修は内容の濃いものであり、とても充実した4日間であった。

3月29日は香港城市大学・中文歴史学科の教員3名、学生2名と共にCultural Diversity, Exhibition, and Exchange from a global perspectiveというテーマのワークショップを開催し、参加者全員がそれぞれの研究テーマについてのプレゼンテーションをおこなった。午前中は香港城市大学の先生2名と東京大学側からは林少陽先生が各自の研究と関連付けるかたちで25分の報告をおこない、報告後は参加者全員でそれぞれの内容に対するディスカッションに加わる時間がもたれた。学生・教員ともにそれぞれの専門分野は異なるが、ディスカッションでは各分野の視点から自由闊達な意見が交わされた。例えば、歴史学が専門の程美寶先生(香港城市大学)は、人類学の参与観察を歴史学へ応用するというテーマを取り上げており、ディスカッションでは人文学における方法論の新たな展開といったスケールの大きい議論へと発展した。

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午後は学生7名の研究発表へと移った。午前中と同様にそれぞれの発表後にはディスカッションもおこなわれた。学生の発表テーマは「絵図から読み解く南京の景観」から「エリザベス朝の演劇とロンドン」まで、地域、時代、そして研究の方法論に関しても広がりのあるものであったが、ディスカッションでは様々な角度からコメントや質問が出された。筆者は「インドネシア農村変容を捉える新たな視点」というタイトルにて、人文地理学が持っている社会科学としての研究アプローチを紹介するという趣旨で報告をおこなった。ディスカッションでは筆者の発表に対する具体的な質問もあがったが、参加者の多くは人文学系の分野を専門としているため、社会科学と人文学の双方の研究方法をどのように組み合わせることができるのかという議論にまで展開した。

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今回のワークショップは、朝から夜まで10時間にもわたる長丁場であったが、参加者それぞれの発表の質はとても高く、ディスカッションにおいても先生・学生を問わずに様々な意見が交わされ、時間が足りないことも多かった。また、参加者の多くは各国(主に中国)の文学や思想、メディアなどを研究しているため発表内容は多岐にわたっており、筆者は自らの専門以外の研究に対して質問やコメントをする難しさを痛感した。自らの専門を超えた議論に参加するためには、相当の教養と発想の転換が必要であり、今回のワークショップは、まさにそうした「学者」としての力を養う場として有益であった。夜は、参加者全員で香港城市大学の近くにあるレストランで夕食会となり、そこでもワークショップの話題で終始した。

翌日(3月30日)は香港歴史博物館を訪れ「香港と博物館」というテーマの現地実習をおこなった。今回の研修では返還前後の香港における博物館をめぐる文化政策の違いを念頭におきながら、博物館の機能とその歴史叙述、およびアイデンティティ構築に果たす役割等について考えることを目的としていた。香港歴史博物館では香港の歴史が時系列的に描かれており、見るに飽きない展示となっていた。

一般的に、博物館は国民意識を形成するひとつの役割を担っていると言われるが、香港はイギリスの統治下に置かれ、太平洋戦争で日本軍に占領され、1945年以降は再びイギリスの管理下に入り、1997年に中華人民共和国へ返還されたという歴史を有しており「香港人」としてのアイデンティティを的確に定めることは難しいようである。香港の歴史を人が移住してきた初期にまで遡ってみると、最初に大陸からやってきた本地人(Punti)が香港島で農耕民として定住した後、福建人や客家人、水上生活をおこなう水上人が漁民として定着した。このように、中国大陸部から見ると、香港島は内乱や土地不足から逃れる移住の地であった。その後、イギリスが香港島の地政学的な重要性に着目し、アヘン戦争を経て直轄地とした。その後は上述の歴史をたどるが、現代の香港を見てもこうした歴史的な経緯の影響を大きく受けている。そのため、博物館に展示されている内容からも、香港は多様な文化が混在しているというイメージを強く受けるものであった。その一方で、民族や文化的背景が多様であるがために「何が香港というアイデンティティを形成しているのか」という今回の研修テーマに対する答えは出ていないようにも感じた。例えば、香港島の北部を東西に走るトラム(路面電車)は、地下鉄に比べて効率的ではないにもかかわらず、現在でも100年前の路線を継承するかたちで残されている。その一方で、トラムに関する展示はイギリス統治期に開設されたことを紹介するものでしかなく、なぜ現在までトラムが存続しており、香港の人がトラムをどのようにとらえているのか、といったようなことは分からなかった。

総じて、今回の香港研修は短期間であったが、充実したものであった。香港城市大学でのワークショップでは多様なバックグラウンドを有する研究者とコミュニケーションをとることができ、香港歴史博物館の現地研修では様々な角度から香港を捉えなおすことができた。また、報告者は歴史学や文学といった分野の研究には精通していないが、今回の研修を通じて、今後は自らの研究を設計していく段階においてこうした分野で議論されている内容を参考にしていかなければならないと感じた。

報告日:2016年4月3日