奥三河・花祭研修──伝統の継承と地域の共生 中川 亮

奥三河・花祭研修──伝統の継承と地域の共生 中川 亮

日時
2017年11月11日(土)・12日(日)
場所
愛知県北設楽東栄町御園字坂場124-3「御園集会所」
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト1「生命のかたち」

11月11日(土)から12日(日)にかけて、愛知県北設楽郡東栄町の御園地区で「花祭」が開催された。これは奥三河と呼ばれる愛知県山間部の地域に700年前から伝わる神楽の一種で、御園地区をはじめ10数箇所で保存されている国の重要無形民俗文化財である。地区によって違いはあるものの、この祭祀は夜を徹して行われるほどの長さがある。報告者の感覚ではこれでもかなり長いが、御園では2日間かけて行っている。本研修では、本学内藤久義特任研究員引率のもとプログラム生6名が20時間以上に渡る祭祀をほぼ始めから終わりまで鑑賞した。

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御園の花祭概要

御園における花祭は第一日目の昼ごろに執り行われる神事から始まる。祭場の近くにある石碑の前で烏帽子と袴を身につけた花太夫や宮人(みょうど)が地神を迎える儀式を行うと同時に、祭りの前日少々離れた滝で汲まれた御神水が準備される。この水は舞庭と呼ばれる会場の中心部に設置された釜に注がれ、祭りの最後の瞬間まで火にかけられたまま、もうもうと湯気を立ち上らせ続ける。この湯気が天井から垂れ下がった「湯蓋(ゆぶた)」と呼ばれる切り紙をはためかせ、神の来訪を示唆するのである。

御神体が神輿に揺られて到着するとお祓いが行われ、いよいよ舞が始まる。地元の人々によって行われるそれぞれの演目は30分から1時間程度あり、ほぼ一定のパターンで繰り返される舞と神楽が、舞い手や観客を忘我へと誘う。舞は、山から下りてきた鬼たちの来訪や、人間と鬼との問答、子供達の微笑ましい舞などを途中に挟みつつ翌日の午前中まで続く。朝になる頃にはお酒の入った地元の人々の熱気は最高潮に達し、ついに湯ばやしの舞に至る。湯ばやしとは、数名の若い踊り手が手に持った箒状のもので沸いている湯を撒き散らし、人々を清める舞である。この舞が花祭のクライマックスとなる。その後小さな鬼の舞や獅子舞があり、最後に来訪した神を送り出す神事などが続いて花祭の幕は閉じる。身体や衣服に残った煙の匂いだけが日常へと戻っていく人々の祝祭の名残を留めるのである。

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過疎地域の伝統行事として

花祭を実施するには大きなエネルギーが必要とされる。これを少子高齢化の進む東栄町で、複数の地区が毎年行なっていることには驚嘆するほかない。花祭が行われる御園地区の人口は100人未満で、世帯数もおよそ40戸しかない。東栄町全体で見ると高齢者のみの世帯は全世帯の半分弱であるから、御園地区でも状況はさほど変わらないと思われる。そうした中で、神楽の担い手や若い舞い手を確保していくのは非常に困難で、とても一つの地区だけでできることではない。そのため複数の地区が舞い手を共有している。奥三河の花祭の常連だという女性客も他の地域にいた舞い手がこの御園でも舞っていると述べていた。また、修験道の影響を受けた民衆の神事として発展してきたこの祭祀はもともと女人禁制であったが、現在では少子高齢化を理由に女性にも門戸が開かれている。

祭りを開催する側の人数が少なくなっている一方、外部から見物に訪れる観光客はむしろ増えている。かつては知る人ぞ知る山間の集落であった御園地区も、メディアで紹介されるようになったこともあって知名度が高まり、今では中高年を中心に花祭ファンを惹きつけているようである。廃校となった小学校を改装した新会場はキャパシティが大きく、観光客の増加に対応できることも大きい。地域の人々のために行われる伝統祭祀でありながら外部の人々を歓迎する寛大な姿勢は、少子高齢化と過疎によって伝統の存続が危ぶまれている状況を何とかしたいという地域住民の思いに起因するものと考えられる。

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記録できないものと祭りの継承

花祭の記録は文書、写真、映像などの形式で多く存在する。たとえば折口信夫をはじめとする民俗学者による記述や、写真家の竹内敏信による作品群がある。事前学習を担当頂いた神楽の専門家である三上敏視氏も著作や記録映像を公開している。またNPO法人「御園夢村興し隊」が運営する「花祭りの舘」にも映像資料を含む記録が残されている。東栄町や愛知県地域振興部地域政策課が作成するウェブサイトも存在する。この愛知県地域振興部のポータルサイトには画像・映像資料のほか、360°パノラマ撮影した舞や鬼の面の写真もあり非常に充実している。こうしたリソースを用いれば花祭についてかなりの情報を得ることができよう。

しかし、いかに充実したアーカイブスを用いても音響や煙の匂い、目や鼻の痛み、疲労、寒さは捉えられない。「眠い、寒い、煙い」と称される花祭の様子や、その臨場感によって生まれるトランスめいた感覚も再現することはできない。報告者にとって、こうしたアーカイブ化しえない情報の存在を強く意識させられることに本研修最大の意義があった。そうした意識はまた、記録したためにかえって体験自体を顧みることがなくなってしまうという傾向に対する戒めでもある。

記録自体は重要であるが、それが記憶に残らなければ生きた伝統として花祭を継承していくことに繋がらない。言うなれば、記録と継承との間には溝がある。記録者と継承者の関心は必ずしも一致しない、と言ってもよいだろう。そのような記録と継承の繋がりの薄さは、たとえば、花祭の会場が一瞬一瞬をカメラで捉えようとする人々でいっぱいになっていながらも、舞いに参加する観光客はそれほど多くないことに表れている。そしてこの報告書もまた、ある年の花祭の記録ではあっても、継承には直接繋がっていない。もし継承という点で報告者が何かできるとすれば、花祭が記録だけでなく記憶の中にも存在し続けるように、報告書を土台に体験を反芻し続けることに尽きるだろう。だが、我々はこれから先、何度この花祭を思い出すことができるのだろうか。

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