国際シンポジウム「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力」報告 半田 ゆり

国際シンポジウム「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力」報告 半田 ゆり

日時:
2015年6月27日(土)9:30-18:30
場所:
東京大学駒場キャンパス学際交流ホール
使用言語:
英語
備考:
入場無料・事前登録不要(定員100名・先着順)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト1「生命のかたち」
協力:
森美術館/ニューヨーク大学グローバル・アート・エクスチェンジ/国際交流基金

2015年6月27日(土)、IHS教育プロジェクト1「生命のかたち」主催で、「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力」と題した国際シンポジウムが開かれた。このシンポジウムは森美術館、ニューヨーク大学グローバル・アート・エクスチェンジ、国際交流基金の協力によるもので、前日の6月26日(金)には「日本およびアジア地域におけるグローバル・アートとディアスポラ・アート」と題したシンポジウムが森タワーにおいて開催されている。筆者は2日目の「パネル2:日本をイメージする──論争の場としての現代美術」以降に参加した。

本シンポジウムにおける「グローバル・アジア」とは、「アジアに起源をもつ商品、考え方、人々のグローバルな転出、転入、変容」を意味する観念である。「グローバル・アジアにおけるアジア美術」に含有される美術の範囲が広大であることは想像に難くないが、シンポジウムを通して聞かれた「アジア美術」の中の「日本美術(Japanese Art)」という言葉もまた、到底一枚岩では語ることのできない多様さに満ちたものであることを感じた。パネル2でのレベッカ・ジェニスン先生の「山城知佳子とクム・ソニの近作における混交性、脆弱性、およびその可能性──『来たるべきアジア、政治、美術を想像すること』」、同パネルのアイェレット・ゾーハー先生の「マハトマ・ガンディー、毛沢東、ベトコン士官グエン・ヴァン・レムを処刑するグエン・ゴク・ロアン──森村泰昌におけるアジアのイメージ(1991-2010)」では、特に人種的なアイデンティティーを作品においてどのように実践するか、ということが問題になっていたように思われる。物理的な場としての国単位で考えたときの「日本美術」、あるいはローカルな美術史において作品を捉えるとき、山城知佳子の《アーサ女》(2008)の「アーサ」というウチナーグチに込められた意味を看過することはできない。アジア美術における日本美術の差異、そして日本美術の中にある差異、あらゆる細分化された差異が存在し続けているという当たり前のことを実感した。今日のグローバルな状況において加味しなければならないのは、人の生まれだけがアイデンティティーを構成しなくなっていることである。出生、場所の移動、様々な文化の輸出入などによって、アイデンティティーとその表象はグローバル化の急激な進展と共により複雑化しているように思われる。

とりわけ美術に関しては、1984年の「20世紀美術におけるプリミティヴィズム」展や、1989年の「大地の魔術師たち」展がよく知られるように、1980年代以降の展覧会における多文化主義について、近年展覧会史的な観点から検討が行われてきていることも合わせて考える必要があるだろう。美術という制度、あるいは展覧会という場において、人種や他の様々なアイデンティティーがどのように取り扱われてきたのかについての歴史的な考察が、グローバル時代の美術に関して今後重要になってくると考えられる。

駒場において、世界各国のアート・シーンの前線で活躍する人々が一同に介し、アートに関する国際シンポジウムが開かれたことは、少なくとも筆者が東京大学に在籍していたここ数年にはなかったように思われる。登壇者やコメンテーターには、大学などに所属する研究者のみならず、実際に美術館やギャラリーで働くキュレーターや、作品を制作するアーティストが含まれており、多様な視点に基づいた議論が行われていた。立場を異にする様々な人々の集うこうしたシンポジウムの性格は、グローバル化社会における多文化共生と、大学内にとどまらない社会との連携を掲げるIHSの理念に合致するものであると考える。大学、美術館、市場といった様々な「場」に属する/属さない人々が関わる今日の美術の世界についてのより具体的なビジョンを得ることのできるシンポジウムであった。

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報告日:2015年9月1日