自主企画「物語の諸相を捉える」熊野研修 報告 相馬 尚之

本研修は、学生によって自主的に企画・実行されたものである。2016年の春から夏にかけて全四回の事前勉強会や有志の学生による講演会等への参加を通じ知見を深めたのち、8月31日〜9月4日に和歌山県田辺市、新宮市、そして三重県熊野市を訪れた。現地では、多くの方々にお時間を割いていただき、各地でご案内とご講義を賜った。本研修をひとつのドキュメントにまとめるための執筆・編集作業が現在進行中だが、ここでは時系列に活動を記載し、参加学生による報告文のひとつを掲載することとする。

事前勉強会

  • 第1回「熊野と信仰─半島内部にうずまく神話世界」
  • 第2回「太平洋沿岸部の歴史─太平洋から外へ」
  • 第3回「新宮市における被差別部落」
  • 第4回「南方熊楠─自然と科学のかかわり」

事前に参加した催し物

  • 2016年1月16日:
    明治大学・和歌山県新宮市連携講座 熊野学フォーラム第9弾『かけあがるたいまつ~霊場「熊野 新宮」の祭りから考える~』
  • 2016年1月24日:
    野生の科学研究所 公開研究会『「対称性」の扉を開く(第3回:神話と感覚の人類学)
  • 2016年1月28日:
    映画「シロウオ」上映会(日高市反原発運動ドキュメンタリー映画)
  • 2016年2月6日:
    新宮市御燈祭り ・2016年6月26日:やなぎみわステージトレーラープロジェクト「日輪の翼」

研修内容

  • 2016年9月1日:
    田辺市にて、市内や熊楠顕彰館をめぐり、熊楠について田村義也さんよりお話を伺った。田辺市本宮にて、安井理夫さんより小栗判官の物語についてお話を伺った。
  • 2016年9月2日:
    田辺市本宮町にて、語り部の松本茂子さんとともに熊野古道を歩いたのち、本宮町の歴史や信仰について坂本勲夫さんにお話を伺った。
  • 2016年9月3日:
    新宮市にて、信仰の歴史や、新宮市が経験してきた大逆事件と被差別部落問題、作家・中上健次の思想等について、中瀬古友夫さん、山本殖生さん、辻元雄一さん、山崎泰さん、森本祐司さんからお話を伺った。
  • 2016年9月4日:
    那智勝浦町にて、補陀落信仰について補陀落山寺住職よりお話を伺った。三重県熊野市にて花窟神社を訪ね、三石学さんより信仰と海とのかかわりについてお話を伺った。

報告文「重ね書きされた物語としての熊野」

相馬尚之

はじめに

今回の研修は、「物語の諸相を捉えなおす」ことを目的とし、紀伊・熊野においていかにして物語が紡がれたかを実際に各所を訪れながら検討した。この非常に大きなテーマ設定は、神話や文学作品に限らず歴史から思考に至るまで、広大な範囲を「物語」としてしまうために、全的な豊かさと個的な曖昧さの両義的性格を有している。それ故研修で訪れた二つの土地を取り上げることで、あえてそのような茫洋とした「物語」をそのままに読んだ記録として、この文を熊野の物語に新たに書き加えることとしたい。

熊野古道

熊野は太古から信仰の地であり、物語の舞台となった。古事記では八咫烏が天皇を導く逸話が描かれ、中世には修験者の修業の場となるとともに上皇らが参詣したこともあり、「蟻の熊野詣」とよばれるほど多くの人々が訪れた。病人や被差別民さえもひきつけた信仰の広がりは後の『小栗判官』にも取り上げられ、江戸時代には熊野比丘尼らが各地を回り熊野詣を促したという。そして世界遺産となった現在では、国内外を問わず多くの人々がこの地に観光に向かう。

しかしながら、実際に熊野を歩いてみると、その道は古の物語や観光のみと結びつくのではないことが明らかになる。古道に沿って植えられた杉の多くは高度成長期に植林されたものであり、また山の中を抜け集落を行くときには、住民の生活道路でもある道がアスファルトで固められていることも多い。そしてこれらの現代的な姿は、いまは忍び寄る過疎の影に覆われている。週に一日しか来ないバス、人の住んでいる気配のない家々、廃業したキャンプ場…。

それでも山中の間道から少しばかり外れ──観光資源の「木の寝台」の上ではあるが──横になり空を見上げれば、この森の空気が湛える神聖さを感じずにはいられない。ほんのわずかな距離を置いて、ここでは道に沿って現在と過去が重なり合っている。

熊野古道は、神武天皇の征服の道であり、宗教的情熱の切り拓いた巡礼者の道であり、小栗が車に乗って曳かれた救済の道であり、熊野に住んだ人々の生活の道であり、私たちの学びの道である。それゆえ、その道を歩くものは、その道の上には、何層もの物語が重ねられていることにたちまちに気が付くであろう。

新宮市

熊野古道が物語と道の結びついた土地であるならば、新宮市は人と物語の重なる土地である。そこは、中上健次が生まれ小説の舞台とし、今でも大逆事件や被差別部落の痕跡を残し、そして林業で栄えた、新しい物好きの町である。

住人の好奇な性格にもかかわらず、この町での出来事は忘却されることなく、彼らの口から湧き出してくる。地元の人々の郷土研究への情熱とそのネットワークによって、他の場所ではすでに歴史へと固定化されたことが、この地では生きた記憶として残されている。

それは、大逆事件や部落問題という言葉に収斂されていく、宗教や差別等の大きな問題だけではない。かつての鉄道、商店、ロープ─ウェー、そして材木所。かつての生活の記録は、いまだ鮮明さを失ってはいない。

現在、目の前に広がるのは、わずかな材木と作業するトラックである。川を下る木組みのいかだも、作業をする人夫たちも、木を運んだ鉄道も、労働者に賑わう花街も、もはや眺めることはできない。だが、河口の材木置き場の栄華は今となっては写真の中にしか認めることができないとしても、その写真の風景は目の前の光景と並列されるときに、両者の時間的差異から浮かび上がる立体視的な都市イメージの中において、歴史として固定されることを拒絶する。

ある場所に立つとき、そこを物語の仮象世界と現実世界の邂逅の現場とするには、人々のなかに物語が受け継がれていなければならない。新宮市においてこれを支えているのは、その地の人々の記憶への熱情であった。

むすびに

記憶は時間的に、そして空間的にも無限ではない。忘却を恐れて文字で纏められた物語は、いつしかその生き生きとした鮮明さを失い、歴史へと固定化される。だが、たとえ時間は戻らなくとも、物語の地を訪れれば、木々や家々の現在の姿と共に、かつての痕跡も認めることができる。修道院の暗い図書室から取り出した上書きされた羊皮紙パリンセプトを太陽に透かしたとき、書かれている言葉の下に削り取られたかつての文字の名残を修道士が見つけるように。

幾重にも物語が重ねられた熊野は、その世界の重なりの中を進み、痕跡をたどり、物語の顕現を希う巡礼者にとって依然として聖なる土地であり、今なお読者たちによって新たな物語を重ねられ続けているのである。

報告日:2017年3月10日