「多文化共生社会」六大学交流会 〜ともに作ろう共生の社会を!〜報告 亀有 碧

「多文化共生社会」六大学交流会 〜ともに作ろう共生の社会を!〜報告 亀有 碧

日時:
2015年6月13日(土)13:00〜6月14日(日)12:00
場所:
大阪大学 豊中キャンパス 大学会館
参加者:
博士課程リーディングプログラム 複合領域型【多文化共生社会】の学生・スタッフ(金沢大学 文化資源マネージャー養成プログラム、大阪大学 未来共生イノベーター博士課程プログラム、同志社大学 Global Resource Management、名古屋大学 ウェルビーイング in アジア 実現のための女性リーダー育成プログラム、広島大学 たおやかで平和な共生社会創生プログラム、東京大学 多文化共生・統合人間学プログラム)
運営事務局:
大阪大学未来戦略機構第五部門「多文化共生社会」六大学交流会係

多文化共生社会をテーマに掲げるリーディング大学院計6大学の学生が46人集まった「多文化共生社会」六大学交流会が、2015年6月13日から2日間かけて開かれた。IHSプログラム生からも理系・文系を問わず7名(浅井悠、石田、打越文弥、菊池魁人、金燕、Steven Urueta、筆者:亀有碧)が参加した。

本報告書では、交流会の模様を時系列に記した上で、今後の課題や展望について所見を述べたいと思う。

まず初日である13日には、大阪大学理事・副学長である東島清氏より開会の挨拶や、大阪大学人間科学研究科教授である栗本英世氏より"Why I do not like the notion of tabunka-kyosei"と題された問題提起が為された。栗本氏は「多文化共生」の概念が単一民族国家という概念の上に成り立つ歴史的言説なのではないかという指摘を基に、文化に対する固定的理解や、その文化を文化として成立させてきた歴史に対する学びの欠如を批判し、「多文化共生」という概念自体の歴史的政治的再検討を促した。

その後、学生による各リーディングプログラムの紹介が為された。今回参加した大阪大学、金沢大学、同志社大学、名古屋大学、広島大学、そして本学のリーディングプログラムは、一口に「多文化共生社会」と言えど、それぞれに異なる特色をもつ。例えば金沢大学「文化資源マネージャー養成プログラム」はその名の通り、多文化の表れとしての文化遺産や伝統遺産に対する研究と保存を活動の主軸にしている。あるいは名古屋大学「ウェルビーイングinアジア 実現のための女性リーダー育成プログラム」はジェンダー問題や貧困・健康問題を扱う。

そうした多様なバックグラウンドをもつ学生による、6名から7名によって構成されるグループワークが、今回の交流会のメインイベントであった。グループワークでの議論のテーマは「多文化共生社会の構築に向けた提案」であり、3時間のセッションを経て翌14日に代表者によるプレゼンテーションが行われた。

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以下に、私が所属したグループでの議論の大筋をまとめておきたい。私たちのグループ6人には留学生が3人おり、議論はまず留学生に感じられた日本の排他性というところから始められた。日本が他国に比べて、外国人にとって入り込みにくい社会であるという点は留学生全員の感覚が一致するところであった。そこで、そうした生の、激しい声を出発点に、特に日本における外国人留学生・労働者といかに日本社会の中で共生できるかという問題を私たちのグループワークののテーマに掲げた。特に私たちは、ソリューションを具体的な形で提示することを目指した。なぜなら、互いへのリスペクトや対話という抽象的な方策は常に唱えられるものの、それを実行する際の諸条件に共生の困難さが露出されると考えられたからである。

まず、私たちは目指すべき「共生」の姿が、互いに同一化することでも、あるいは並行的な生活を送るものでもなく、個々の特殊性を維持しながら互いのリスペクトフルな交流が維持される状態であることを確認した。教育機関や労働環境におけるそうした共生を正当化する理由には、経済的社会的効率の観点が提出された。例えば、人種や国籍に関わらず適切な能力をもつ人材を適切な地位におくことができれば経済的効率が上がるはずであり、一方で個々の特殊性が技術やサービスの多様性を生み出すことによってもまた、経済的利益が発生する。

次に、具体的な共生への提案について議論をはじめた。まず、実際に発展途上国へ外国人として参入した経験をもつ学生による、共生の可否は個々の人の性格や能力に左右されるものではないという指摘から、他者との接触を形成する構造自体の変革について議論すべきであると考えられた。そこで具体的には、人の一生を直線に据えて、共生社会構築のための3つの構造改革を生から死に至るまでの3段階として提示するに至った。1つ目の段階は幼児期から一生にわたり受けうる「教育」である。ここでの教育とは教育機関だけでなくメディア、ソーシャルネットワークを通じた生涯学習を含み、多文化の言語、宗教、慣用的ふるまい、歴史的関係などをその内容とする。ただしそうした教育の内容、特に歴史的正当性をどう担保し得るのかという問題までは踏み込むことができなかった。2つ目の段階は教育が果された後に実現可能な「対話」である。特に会社や教育機関では異文化接触の場を作ることが求められる。ただしこの場は、教育によって自主的に行われることが促されるべきもので、参加を強いるものであるべきではないというのが、私たちの消極的な結論だった。3つ目の段階は、そうした共生の達成された最終段階として考案されたもので、個々の人間のアイデンティティがそもそも他者性を内包しているという認識に基づくことで共生が自己の存立の必要条件と考えられるのではないかというものだ。

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今回の交流会では、限られた時間の中で一定のコンセンサスを積み上げプレゼンテーションを果たすことができたということが一つの収穫であった一方で、議論が尽くされたとは全く言い難かった。例えば、リスペクトとは何か、知ることがリスペクトに繋がるのか、あるいは対話がリスペクトに繋がるのか、山積する問題は大きい。それは一つに、こうした交流会に参加する側の「場づくり」自体の構造的問題があっただろう。前提となる知識の共有が一切ないままに広範なテーマから創造的なアイディアを提出するのは非常に困難であり、論じやすいステレオタイプな体験談へと話題が流れがちであった。例えば事前のリーディングマテリアルの共有や、テーマの細分化によって議論の効率化は大いに計られたであろうことを今回の反省点として次回につなげたい。

一方で今回のグループワークもまた、一つの多文化交流の実践であったことには違いない。それぞれが異なる知識、経験、思想をもち、そして時に私たちは、無意識にも意識的にも共生を害する態度であったかもしれない。あるいは私たちの対話は、単に語られる意味の齟齬を引き起こすに留まらず、互いのもつ既存の倫理を傷つけあわずにはいられなかったと言ってもよい。そこで私たちに根本的に問われたのは、共生という理念を、既に私たちがもつ他の理念や倫理に対しどう位置づけるべきなのかという問題だった。特に後者が「共生するべきでない対象」を指定するとき、そのコンフリクトは一層の緊張感をもつ。もし、私たちリーディングプログラムが「多文化共生」を第一義におくのだとすれば、それは既にある存在に対する暴力と紙一重であって、私たちは痛みを伴う自己変革なくしてそれを達成することはできないのかもしれない。今回の交流会は、改めてそうした共生の切実な困難さに直面させてくれたとともに、様々な方々の異なる見地からのアイディアに大変刺激されたものであった。そこから一歩進んで共生がどう達成されうるかという答えは、今後の活動を通して熟慮することにしてひとまず筆を擱きたい。

最後に、こうした貴重な場を設けていただき、運営に携わっていただいた大阪大学の方々に心より御礼申し上げたい。

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報告日:2015年6月28日