東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」主催
講演会「地域と歩む科学者を目指して」 田邊 裕子

東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」主催
講演会「地域と歩む科学者を目指して」
田邊 裕子

日時:
2015年6月16日(火)18:45−20:45
場所:
東京大学駒場Iキャンパス 8号館209号室
講演者:
黒田佑次郎氏(福島県立医科大学公衆衛生学講座 助教)
八代千賀子氏(福島県福島市 保健師)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)

本講演は黒田佑次郎さんによる講演と八代千賀子さんによる講演の二部構成になっており、被災地の外から臨床心理学の専門家として現地に入って被災者の精神的回復にご尽力した経験をお持ちの黒田さんの視点と、福島市職員として、そして住民として被災を経験し生活の立て直しに献身的に取り組んでいらっしゃる八代さんの視点の両方から震災後の放射線に関する不信感や不安感と地域社会の問題を伺うことができる貴重な機会であった。

黒田さんは臨床心理学がご専門で、実践的な治療の場に従事していたこともあるそうだが、震災後に被災地で支援を行う際には、放射線に関しては非専門家であり、生活者の視点から安心した生活を取り戻す為に専門家との媒体としての役割を果たしていたそうだ。この活動は、Evidence-Based Strategies for Public Health Practiceというデザインされた活動サイクルに基づいて行われている。それはどんなものかというと、まず①現状の問題の分析から目標設定をし、②エビデンスとなるものをみつけ、③それに基づいた戦略を選択し、④適用、⑤実行、⑥戦略の評価、⑦コミュニティの状況評価、そしてまた①現状の課題から目標設定、というように繰り返していくものである。

飯舘村は震災前から地域コミュニティの自治の力がしっかりとしているのが特徴だったそうで、それが震災後の個々人の借り上げ住宅への避難によって崩れてしまったことが大きな課題となっていた。さきほどのサイクルを活用して、こうした問題に取り組んでいく際、大切にするべきは住民の参加だという。そこで、放射能についての理解を深め生活環境の把握を促すためのイベントとして、専門家の一方的で一時的な説明会ではなく、住民参加型の勉強会を長期にわたって開催した。また、各家庭の訪問や、分かりやすく情報をまとめた新聞作成を行い、生活に寄り添ったありかたを心がけたそうだ。その記事の内容においても、住民の知りたい情報を明らかにし、さらに住民自身が測定した数値をもとに記事を書くなどすることで、当事者から当事者への情報共有を可能にするものにした。

黒田さんのお話のなかでとくに印象的だったのは、その取り組みの演劇性である。活動サイクルという基本的な筋書きのなかで、被災によって失った生活環境やスタイルの自主性を住民が取り戻す、その自己コントロール感回復のストーリーを描いていくということは、物語そのものだけでなく、地域社会という舞台も含めて人々の生活を考え直していく演劇的活動であるように感じたのだ。活動サイクルやこうした実践のお話は、他のさまざまな活動に通じるヒントに溢れており、大変刺激を受けた。

次に八代千賀子さんの被災者として、そして福島市の保健師としての経験についてお話をうかがった。まず震災直後の福島の人々の様子についてお話くださり、自然豊かな地域として誇りを持ってフルーツ生産などに励んできた意識が強いため、人為的に作られた原子力発電所のよる被害には特に怒りや嫌悪が強くあったこと、そしてその感情が行政へと向けられたことなどをうかがった。県外の理解は「フクシマ」などの言葉遣いひとつにナイーブさが感じられ、まるで福島県や福島市の人々が問題視されているかのような印象を受けてしまうことなど、被災した当事者との大きな隔たりが感じられたという。

しかし、八代さんもまた、「福島」のひと全体へ向けられる講演などの言葉ではない、市民ひとりひとりへ届くような語り方を意識し、放射線健康管理室では①外部被曝測定②内部被曝測定③知識の普及④個別相談などの活動を行ってきたという。八代さんが特に強調し、具体例を多数挙げてご説明くださったのは、こうした個々人への不安や不満への対応の大切さである。測定器を数週間に渡って貸し渡し、自ら自宅周辺や学校を測定してもらい、グラフを書いてもらうことによって、どういった部分は気をつけ、どういった部分は問題ないのかを、実体験として得てもらう。眼に見えない放射能に漠然とした不安を抱いていた住民もこれによって再び自らの生活を取り戻し、住民としての意識も芽生えていったようだ。

今回のお二人の講演は、地域という単位で生活の様々な側面に主体性と専門性を持って取り組んでいくことの重要性と将来性を強く感じさせられたものであった。私たちは日々呼吸し、食し、消費している。当たり前のように他人任せにこういった行為をするのではなく、結論のない難解そうな問題にも市民として向き合うことができるのだということを知り、そういった地域コミュニティのありかたの先駆者として福島県の市民社会が確立されていくことにこれからも注目し、わたしなりの課題に結びつけていきたいと考えた。

IHS_R_3_150807_Lecture_01.jpg
報告日:2015年8月7日