駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
アーティスト・トーク 報告 石 田

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント
アーティスト・トーク 報告
石 田

日時:
2015年5月9日(土)14:00-15:00
場所:
東京大学駒場キャンパス駒場博物館
出演:
池平徹兵(画家、OFFICE BACTERIA代表)
ブリアンデ・カナエ(アクセサリー作家、OFFICE BACTERIA)
ブリアンデ・ロマン(生物学者、Institut National de la Recherche Agronomique)
司会:
渡部麻衣子(IHS)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

本イベントは、展覧会『境界を引く⇔越える』(2015年4月25日~6月28日、東京大学駒場博物館)の一環として行われた、池平氏とブリアンデ夫妻によるトークセッションである。池平氏は、障害者と共同制作した絵画を本展覧会で展示し、また先日の鯉のぼりワークショップでは、実際に子どもたちと鯉のぼりの鱗を共同で制作した。ブリアンデ・カナエ氏は、OFFICE BACTERIAにおいて池平氏と共同で創作活動をしており、中でもアクセサリーという形で細胞を表現している。そして、ロマン氏は生物学者であり、科学者の視点から妻カナエ氏のアート実践を近くで見ている。本報告は3人による意見交換を概観するものだが、ここでは、本展覧会およびIHS全体の主題と関連付け、とくに異分野の境界がもつ意味に注目して報告したい。

まず、作品制作における池平氏のスタンスを題材として「自分」と「他者」の境界が論じられた。池平氏は、共同で制作した作品を積極的に世に問うているが、その過程で、参加者が作った個々のパーツが選別されずにすべて作品に組み込まれているという点が、同氏のアートに対する態度を象徴している。しかし、同氏は「よい作品を作る」と強く宣言しており、その視点は、「みんなで作る」ということだけで意義があるという福祉の視点とは大きく異なる。こうした独特の姿勢は、同氏が想定する「自分」の範囲に起因する。同氏は次のように言う。アートで表現されるものは表現者自身(自分)であるが、それは自然界に存在する事物(他者)を媒介してである。にもかかわらず、「他者」を介して表現されたこの作品は、あくまで「自分」の作品だ。すなわち、「自分」を表現するにあたって、必ずしも「他者」を排除する必要はないのだ。この想定を徹底的に実行に移すならば、字義通りの「他者」が自らのアートに関与していても、それが「自分」の表現を妨げると考えるべき根拠はないし、「他者」が制作したものはいずれも「自分」のアート作品から排除する理由をもたないのだ。このようにして、池平氏のアート実践においては「自分」と「他者」を隔てる力は弱められている。

次に、日本で生まれたブリアンデ・カナエ氏がフランスに移住した際のエピソードに焦点を当て、「国」間の境界について考察がなされた。同氏は、日本とフランスの境界を、ひろく想定されているほどには意識しなかったと述べる。それはあたかも、ある農村が山を隔てて隣町と接している場合のように、たしかに境界を意識するけれども、他方それは日常的に越境可能な境界であり、絶対的な壁として立ちはだかるようなものではないという。この例にも現れている通り、同氏が越境を簡単だと語る場合、境界を引くこと自体をナンセンスだと退けているわけではない。そうではなく、人間が日常的に引いている境界線は、必ずしも強い断絶であるとは限らないということを強調しているのだ。この観点については、池平氏も、境界が引かれた動機に着目することにより、往来可能な境界とそうでない境界があることを指摘している。こうして、カナエ氏のエピソードからは、境界があることとそれが越境可能であることの両立可能性が見て取れる。

最後に、生物学者であるブリアンデ・ロマン氏と妻のカナエ氏とのやりとりをもとに、科学とアートの間の境界が論じられた。ロマン氏は、自らは普段は細胞を科学の立場から見ているが、カナエ氏らによってアートの対象となった細胞を見ると、科学者になる以前に持っていた目線が呼び起こされるのだと述べる。また、ロマン氏自身の感性の問題にとどまらず、たとえば、科学者でない人々に科学の楽しさを伝えようとする場合に、アートの視点がロマン氏をサポートしたという。さらに、カナエ氏がまったくの創作で描き出したものが、偶然にもロマン氏が研究中に観察した現象と類似し、これに頼ることでカナエ氏は一層創作を深めた、というエピソードがある。これを稀なことと見るか否かは、ここでは判断を差し控えよう。ここで言えることは、科学とアートは、論理と感性というアイコンによって相容れない二者のように考えられがちだが、実際に両者が向かい合う場面では、時に双方向的な効果を及ぼし合っており、両者の間には乗り越えられない断崖など決してないということだ。

三者三様のエピソードトークからわかったことは、異分野の間に引かれた境界はそれほど恐怖するべきものではなく、したがって境界自体を無効化しようという極端にラディカルな主張にすがる必要もまたない、ということだ。これが意味するところは、同化ではなく共生、すなわち異質であることを認識した上で認容し、同時に共存するということだろうか。そうであるならば、3つのエピソードは、本プログラムの趣旨である「共生」の理念を端的に示す例であり、それゆえ、それだけではあまりに抽象的な「共生」をよりリアルに掴むという目的にとって非常に有益であると報告者は考える。

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報告日:2015年5月25日