Young Jean Lee's Alright Means and Horrible Ends報告 伊藤 寧美

Young Jean Lee's Alright Means and Horrible Ends報告 伊藤 寧美

日時:
2015年5月27日(水)16:50−18:20
場所:
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2
講演者:
Professor Karen Shimakawa (Tisch School of The Arts, New York University)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」

本講演では、現在ニューヨークで活躍する劇作家Young Jean Leeの戯曲の分析を通じ、個人のアイデンティティクレイムに拠らない形で、いかに人種が舞台上で表象されうるかが論じられた。初めに、シマカワ先生から「多様性」という言葉について問題提起がなされた。この言葉をめぐって、歴史的に差別されてきた人々が具体的に抱える問題への解決を目指すという側面がある一方で、ただ様々な人々の存在を「良し」とする側面が強調されつつあるのではないかという指摘である。つまり、誰が誰の存在を「良し」とみなすのかについて、結局のところ白人あるいはマジョリティの人々が「他者」を知る機会を得るという意味において「多様性」というキーワードが用いられている場合があることを疑わなければならないのだ。

講演で取り上げられた劇作家Young Jean Leeはいわゆる1.5世代の韓国系アメリカ人の作家である。そのキャリアの初期には、人種というテーマは彼女の作品にはほとんど見られなかったが、2006年初演のSongs of the Dragons Flying to Heaven以降、このテーマに深く切り込む作品を発表していく。この作品では、一見アジア系女性のステレオタイプを前面に押し出すかのようでありながら、そのイメージの執拗な反復から生まれるある種の滑稽さのために、そうした既存のイメージから観客は距離をとらざるを得ない。作品の中に表れるアジア系女性にまつわる表象はステレオタイプ化したイメージと緊張関係を保ちつつ、特定の人種、あるいはLee自身のアイデンティティに回収されることなく、むしろ観客に混乱をきたすものとして舞台にあげられる。

批評家たちから高く評価されたという2009年初演のThe Shipmentではアフリカ系アメリカ人を取り上げている。本作のキャストはすべて黒人俳優であり、前半は黒人のやはりステレオタイプ的なパフォーマンス、後半は極めてリアリズム的に描かれる中産階級の大学生たちのパーティーのシーンという二部構成となる。第2部のラストシーンで、酒に酔った学生たちが極めて差別的な発言を繰り返す。仲間の一人が周囲を諌め「もしこの部屋に黒人の人がいたらこんなことは言えない」と述べる。その時初めて、この場面は黒人の中産階級の若者の生活を描いているのではなく白人が描かれており、人種的なクロスキャスティングによって黒人俳優がそれを演じているのだ、という演劇上の仕掛けが明らかになる。観客は半ば無意識に、中産階級の黒人も存在する、と人種と格差の問題に目を瞑りながら舞台を見ていたのではないか、という問題が指摘される。

両作品に共通するのは、特定の人種のイメージの革新ではなく、むしろ既存のステレオタイプ的なイメージを巧妙に用いていることである。そして、それらのイメージはLeeのアイデンティティの主張に用いられるのではなく、観客のアイデンティティの混乱を狙っている。「多様性」というテーマに戻れば、Leeは韓国系アメリカ人の女性劇作家として、白人社会の中の他者としてそのアイデンティティを確立するのではなく、個々の観客のアイデンティティを問うことで、他者の存在を「良し」とすることが出来る立ち位置は何によって構築されているのかを演劇作品によって強く問いかけていると思われる。

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報告日:2015年6月8日