ムッツァレッリ教授講演会“Food and the Roles of Women”報告 千葉 安佐子

ムッツァレッリ教授講演会“Food and the Roles of Women”報告 千葉 安佐子

日時:
2015年3月26日(木)
場所:
東京大学駒場キャンパス18号館4Fコラボレーションルーム3
講演者:
マリア・ジュゼッピーナ・ムッツァレッリ(Maria Giuseppina Muzzarelli)教授
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」

プロジェクト2ではこれまで食について、農業、地域文化など様々な側面から焦点を当ててきたが、今回は社会における女性の役割との関わりから捉えた。ゲスト講演者のマリア・ジュゼッピーナ・ムッツァレッリ氏は経済、都市、服飾などの歴史に関して多大な研究業績を誇る欧州史の専門家であり、また日本人研究者との交流も深い。今回は、ご著書のNelle mani delle donne(『女性の手の中で』)の内容に即し、いくつかの事例から食と女性の役割の関わりの分析をご講演いただいた。以下にその要約と感想をまとめる。

講演要約

食と女性との関係は様々な捉え方ができ、以下4点がその例である。

  1. 女性と授乳の関係
    食は社会に大きく影響を受けている。例えば人は生まれた直後に母乳を必要とする。母乳で育てるか、乳母をとるか、とるならば誰か、といった決断は主に父親によってなされてきた。下層階級の女性は乳母として雇われれば次の出産の機会を逸する。ここに男性・女性の役割の違い、社会階級による違いが反映され、出産・授乳といった営みがいかに文化によって規定されてきたかを垣間見ることができる。
  2. 食事制限の文化的起源
    ヨーロッパの中世においては、女性は誘惑に弱い生き物であるという認識、あるいは、女性は誘惑そのものであるという認識があった。そこで、女性の側では食欲のコントロール能力を周囲に示すことによって、自らの価値を高めようとしてきた。イブを誘惑する蛇は、中世末期から女性の形象で描かれるようになり、その例はランブール兄弟の『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』やマゾリーノ『アダムとイブの誘惑』などの多くの絵画に見ることができる。これは、誘惑に弱いという女性の「欠点」から人類の罪が生み出されたことを強調すると同時に、女性の肉体そのものが危険な存在であることを示している。
  3. 治療の手段としての食
    主婦は料理をする時に家族の健康への配慮からハーブを使い分けてきたが、この技能から女性は治癒を司る者という認識を持たれてきた。ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのCausae et Curae(『病因と治療』)には、数多くの種類の動物、植物、鉱物について、それがどのような効用を持つのか、具体的にはどのように用いるのがよいのかなどが記されている。知識創造の拠点が大学を中心に担われる時代になると、こうした生活の知恵から派生した健康療法は特殊な治療行為としての位置づけを得るようになった。
  4. 毒としての食
    食は治療と栄養補給の役割を持っているが、方向を反対に向ければ毒ともなりうる。実際古代ローマでは、多くの主婦が夫に薬と偽って毒を飲ませた事件があった。中世にも同様の事件があり、嫌疑をかけられた妻は良い効用を期待して粉末を料理に混ぜたと弁明した。これらの事例から分かる通り、健康を促進させるのも悪化させるのも妻の手にかかっている。従って出された料理を食べる側にとっては常に疑念の余地が残る。

他にも、例えばファッションにしばしば食べ物のモチーフが取り入れられ、「消費される存在」というアイロニーを体現する。これらの事例から、食という人が生きていくうえで不可欠な行為に関連する様々な慣習が、社会構造を大きく反映していることが見てとれる。

感想

現代は飽食の時代と呼ばれ、特に東京ではありとあらゆる種類の食べ物が容易に手に入る。また健康志向の高まりの中で、体の機能向上のために何をいつどれだけ摂ればよいかといった情報も氾濫している。このような日常において、美味しいと感じるか否か、体に良いか否か、といった判断基準が先行して、食に付随する文化的背景が認識から抜け落ちる場合もあるが、今回の講演で様々な歴史的事実を食に関連付けて解説していただき、食べるという行為を多面的に捉えることの重要性を改めて感じた。

冒頭、出産・授乳に階級の高い者と低い者の力関係が反映されるという解説が筆者にとっては印象的であった。既にある勢力関係が世代を経て継承されていく様子は現在にも通じるものがある。食事制限のパートでは、長きにわたって問題となっている摂食障害への言及があった。痩せている身体こそが美しいという認識がメディア等を通じて形成されることが極端なやせ願望に結びつくと筆者は理解していたので、食欲を自制し、悪のイメージを払拭する意味が食べないことに込められていたという事実は新たな発見であった。治療としての食の解説では、科学とは別の由来を持つ健康管理法の存在に焦点が当てられた。食材の組み合わせを選び、調理することで目的の効用が一皿にまとめられ、家族の健康が維持される。現在、書店の料理専門書のコーナーでは、例えば野菜をテーマにした一冊が各種の野菜の栄養素と効用、具体的な調理法を解説しているのを見かける。講演で挙げられたヒルデガルトの著作は現代にも通じるものがあると感じた。

また今回、多くの絵画の紹介と解説を交えて、食と女性というテーマを切り口に様々な分析をご提示いただいた。作品の細部に当時の人々の生活を垣間見るという体験をし、新たな鑑賞の仕方を学ぶことができた。筆者自身の研究からは離れる分野であっても、今後もIHSの講演や研修に積極的に参加し、大学院での学びの幅を広げていきたい。

ムッツァレッリ教授講演会
報告日:2015年3月31日