特別講演 荒井裕樹氏講演会報告 石 田

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント 特別講演 荒井裕樹氏講演会報告 石 田

日時:
2015年4月25日(土)13:30-16:30
場所:
東京大学駒場博物館
講演:
荒井裕樹氏(二松学舎大学)
パネリスト:
水谷みつる氏(こまば当事者研究会)、池平徹兵氏(OFFICE BACTERIA)、渡部麻衣子(IHS)
司会:
石原孝二(総合文化研究科・IHS)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」

2015年4月25日から6月28日まで、東京大学駒場博物館において、『境界を引く⇔越える』と題して展覧会が開かれている。これは,IHS教育プロジェクト3「科学技術と共生社会」の研究成果展であるとともに、展示を通じて共生という主題を来場者とともに考えることを企図している。そして、当展覧会の初日にあたる4月25日に、二松学舎大学特別任用講師である荒井裕樹氏をお招きし、特別講演をいただいた。本報告は,この特別講演の概要をまとめたあと、その内容を振り返りつつ所感を記したい。

荒井氏は「アートへの‘希待’」と題し、丘の上病院・平川病院における芸術活動の実践を基盤とし、精神疾患に向き合うときに「アート」が果たす役割について仮説を提示した。「仮説」という語を用いたのは、従来の学術的手法としての分析や解釈では上記の実践の意味を読み取ることはできず、それらとは異なる記述の文体を模索していくことが求められている、という荒井氏の立場を反映するためである。同氏は、合理的・論理的な思考の次元の存在と意義を認めつつ、別の次元、すなわち創造的な信仰の次元もまた存在し意義を持つと主張する。具体的には、立場の弱さのために普遍化して語れない感情を表現したり、通常の言語がもつ多義性に左右されないメッセージを伝えたり、または、医学的治療ではカバーできない「癒し」を得たりすることが、信仰の次元においてなされる。

こうした次元は、論理とは別の文体に基づいているので、一見すると空想的な色彩を帯びている。しかし、精神病院における実践に照らして再考するならば、これを単なる虚構と見なすことはできない、と荒井氏は強調する。精神疾患と呼ばれる状態にある人は、患者に内在する要因のみによってではなく、人間関係や環境の影響下で患っている。したがって、投薬のような医学的アプローチは、有効であっても完全ではない。また、「治す」というアプローチは「悪いものを除去する」ことを基本的な動機として含んでいるが、心をその対象とする精神疾患において、こうした動機は、患者の心に治療対象である「悪いもの」を帰することで、患者にさらなる自己否定を求めかねないのだ。このようにして、荒井氏は精神疾患において「治す」というアプローチが持つ弱さを挙げ、他のアプローチを模索する必要性を訴える。

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント特別講演 荒井裕樹氏講演会報告

それでは、「治療」ではないものとしての「癒す」とはどのようなものか。荒井氏によれば、この問いに対する非常に示唆的な視点が、丘の上病院元職員によって提示されている。荒井氏は、「痛いところをさすって温める」という象徴的な表現を用いつつ、患者の生の無条件的な肯定という前提のもとで、苦しさを自由に語るということを、同職員のスタンスとして指摘する。そして、芸術活動に参加した患者が、医学的疾患は寛解していないにもかかわらず、何らかの生きやすさを感じていることを挙げ、「治療」とは別のアプローチとして「癒し」があることを示唆している。では、「癒し」のアプローチを可能にする条件は何か。荒井氏は、これを患者の生の無条件的肯定に見ている。すなわち、患者の善性をいかなる根拠も求めずに信じ、希望を持って期待すること=「希待」が、精神疾患に向き合う有効な方法としての「癒し」には不可欠なのだと言う。ここにおいて、「癒し」は論理的思考の次元から区別された創造的信仰の次元にあることが明確となる。

本講演では、精神疾患にかかわる経験から、われわれの思索の中心を占めている論理的思考に対してアンチテーゼが突きつけられたと言ってよいだろう。とはいえ、この視点自体は目新しいものではない。「治療」中心の見方への反論は看護理論でなされており、現象学はケア/関心という概念を用いてこの問題を論じている。そこで報告者は、非「論理」としての「信仰」の次元に「アート」と「癒し」をともに結びつけたことを本講演の主要な観点と考える。論理的思考が機械論親和的であるのと対照的に、「信仰」「アート」はいずれも何らかの目的を志向している。仮に「癒し」がこれらと同様に目的論を背景として記述可能であるならば、自然科学を背景とする「治療」とのコントラストがより鮮明となるだけでなく、「癒し」が何らかの原理に基づいては説明されえないことが傍証される。

では、学術的営みにおいて、目的論親和的な事柄はどのように記述されうるか。これは倫理学をはじめとする価値論が概ね共有する困難だろう。荒井氏が言うように、少なくとも、典型的な学術的分析および解釈はこの場合には無効であり、より適切な文体が必要とされている。こうした文体を見つけるために、従来の学術という枠を越えた試行錯誤が求められることは容易に想像がつくが、こうした目的論が実践されている場を参照することの有効性もまた明らかだ。このようにして、本講演は「多文化共生」を学術の領域で実践する場合に直面する方法論上の問題を明示した上で、伝統的学術を盾としてその問題を無視すること、またはその問題に怯えて学術自体に背を向けることをともに戒めつつ、目的論親和的な事柄に向き合うことの意義を報告者に強く推すものであった。

駒場博物館特別展『境界を引く⇔越える』関連イベント特別講演 荒井裕樹氏講演会報告
画面正面の作品は、一般社団法人アーツアライブ主催、公益財団法人ヤマト福祉財団助成にて、池平徹兵氏と北区若葉福祉園利用者がスイミー壁画プロジェクトで制作した作品です。
報告日:2015年5月5日