香港研修「香港で考える日本哲学と東アジアの共生」報告 信岡 悠

香港研修「香港で考える日本哲学と東アジアの共生」報告 信岡 悠

日時:
2015年3月12日(木)~3月15日(日)
場所:
香港文化博物館、香港中文大学、新亜研究所、香港市内
講演者:
何慶基(香港中文大学教授)、張政遠(香港中文大学講師)、李鐵成(香港中文大学講師)、石井剛(東京大学大学院総合文化研究科准教授)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」

本研修はIHSプロジェクト2の主催で、香港にて4日間にわたって行われたものである。哲学を通して市民社会を再考し、新たな共生の在り方を探ることが目的であった。具体的には、独特な歴史を持つ香港で講演会や市内見学を実施することによって、激動する東アジアの現場と哲学的思想をつなげようと試みた。以下、時系列ごとに報告を行う。

到着初日は香港文化博物館を訪れた。この博物館は、いわゆる金融街の香港ではなく、New Territoryと呼ばれる郊外に位置していた。内部では、古墳出土品からブルース・リー特集まで幅広く展示が行われていたが、筆者が最も感銘を受けたのは、香港の歴史、特に土地開発の歴史を模型で表した一画であった。漁港や畑作に使われていた土地が埋め立てられ、整備され、瞬く間に摩天楼が築かれていく様子が示されていた。空港から市内に向かいながら初めて目にした香港は、平地を埋め尽くすように高層ビルが並ぶ大都市であったが、ほんの10数年前までは、岸はもっと複雑に入り組んでおり、中心部から離れた場所では農作が行われていたのだった。いかに急速に都市化が進んだのかを明示され、その速度に市民生活はどう追随したのか、また追随は適切に行われたのかを考えさせられた。

2日目は香港中文大学を訪れ、講演会への参加とキャンパス見学を行った。まず石井剛先生は、IHSプログラムという文理を超えた統合知形成の試みと、その中で私たちが重要視している「現場」との繋がりについて、福島での取り組みを例として講演を行った。IHSの設置理由として、昨今の情勢では、専門領域と文理両分野の知識、3カ国語以上を操る言語能力、現場で積極的に活動を行う姿勢を備えた人物が求められていることを提示した。さらに現在世界中、特に東アジアで起こっている激動に対応するためには、学問の領域からのアプローチだけでは不足しており、いかに現場主義で物事と関われるかが鍵であるとも主張された。これまで筆者はIHSの他の企画でも、現場で起こっていることを直視し、柔軟に対応することの大切さを学んできた。積極的に現場と学問の連携を作る企画によって、新たな観点に気づかされたことは事実であり、それを研究にも活かしたいと考えていたため、講演の内容は強く共感できるものだった。

また、講演に参加した中文大学の教授や学生らは、福島で行われた企画(四川-福島ワークショップ)についても興味を持っている人が多かったようだ。石井先生がスライドに映した写真は、現在の福島の状況を知りたいという関心に答えるものだったであろう。福島の企画では、福島、沖縄、四川、東京それぞれに属する学生や教授が互いの状況を語り合うことで、災害自体やその後の不安について経験を共有することが出来たという。共有によって生じた変化や思いは本人にしかわからないものであるが、言葉に出すことをきっかけとした疑問の解消は、現場を理解し、共に問題の解決に向かって働きかけるために有効であろうと感じた。

次に、中文大学の教授の講演は、主に昨年起こった雨傘運動を中心主題として展開された。中でもこの運動の様子を記録したドキュメンタリーの上映は、筆者に衝撃を与えた。学生達の行動やその思いも、デモの場で何が起こっていたのかも、日本では知り得ない情報に溢れていた。あくまで「平和的な手法」で正当な民主主義を希求することが、雨傘運動の目標であったと理解できた。デモの場において、突然の予期しない事故や対立する何者かからの攻撃は、そこに集まった人々をいとも簡単に暴力的な手段へと向かわせる。ドキュメンタリーの中で、こういった出来事に直面したときに、リーダー格の学生が、非暴力、冷静な対応を必死に人々に呼びかける場面があった。「絶対に平和的な手法を保たなければならない」という彼らの信念からは、香港や香港に生きる人々が抱える問題の複雑さや根深さが窺い知れ、言葉に尽くしがたい思いに襲われた。

ドキュメンタリーの上映後は、制作に関わった学生達も加わり、議論の場が開かれた。雨傘運動に参加した学生とその親の関係は多様であり、参加を諌めるものから、積極的に支援するものまで幅広かったらしい。印象に残ったのは、ある学生が、父親から「学生達の行動は、社会を良くするものだとは思えない」と言われていたことだった。この学生はどんな思いでこの言葉を受け止め、運動への参加を継続したのか、またこの父親はどんな思いでこの言葉を子どもに向けたのか。互いの主張は異なっていたとしても、それぞれが社会のため、民主主義のため、家族のためを思って、立場を選択したのだった。

講演後には、山に沿って建てられている中文大学のキャンパスを見学した。最寄り駅からキャンパスの最上部までバス網が整えられており、移動は難しくなかった。キャンパス内でも大きな高低差があるのは興味深かった。さらに構内の至る所に雨傘運動のポスターや幕が残っており、実際に運動が展開された現場の一つなのだと感じることが出来た。

3日目は、雨傘運動に参加した学生3名と共に、占拠された市内中心部を訪れた。ビラや大規模な設備は撤去されていたが、幹線道路の脇には現在も数十のテントが張られていて、学生や支援者が活動を続けていた。運動について説明するボランティアの学生も2人加わり、当時の詳しい状況や運動の現在について聞くことができた。大勢で道路を占拠したときの臨場感を伝えてもらい、学生達と意見を交わせたことは大きな収穫であった。特に警察から催涙弾が放たれたときに悲しいと感じたと、ある学生から聞いたときは、胸が詰まる思いだった。前述した父親と学生の関係についても言えることだが、同じ香港に生活する人でも、その立場によって考えることは異なるし、取らなければならない行動も異なる。各自が選択した環境を全て検討することは不可能だが、今回の訪問で全く意見を聞くことのなかった側(政府、反対者、巻き込まれた人など)についても知りたいと感じた。

午後には、中文大学に新亜書院が統合される際に独立した、新亜研究所を訪れた。この研究所は中学校の敷地に間借りをする形で設置されており、経営状態は深刻であると伺った。伝統的な中華思想を守り続け、かつて著名人を輩出した研究所ではあるが、中国、香港、台湾という3地域の複雑な事情に巻き込まれてしまったのだという。その長い歴史もさることながら、図書館に保存されている資料も素晴らしく、人々が熱心に研究所を支える意味がよく汲み取れた。

本研修は学問と現場を繋ぐ意味を再考しつつ、実際に現場に入り、人々の経験を感じ取るという主旨のものであった。発生してから間もない雨傘運動について、参加学生と直接会話し、意見を交換できたことで、筆者にとって価値のある研修となった。ほんの短期間の滞在ではあったが、香港と大陸側の複雑な関係を垣間見ることができた。書籍や新聞からは知り得ないことが現場には確実に存在しており、それはこれまでに学んだ理論や思想観を変化させるに足るものなのかもしれない。学術の領域から何を発信できるのか、何について貢献が出来るのか、真剣に向き合う必要があると意識させられた。今後も香港の学生達との繋がりを保ち、次回は日本で何らかの企画を行いたい。

香港研修「香港で考える日本哲学と東アジアの共生」報告 信岡 悠

報告日:2015年3月20日