研修旅行「フェミニスト・アプローチと非規範的なジェンダー/セクシュアリティ」報告 伊藤 寧美

研修旅行「フェミニスト・アプローチと非規範的なジェンダー/セクシュアリティ」報告 伊藤 寧美

日時:
2015年3月8日(日)~3月10日(火)
場所:
同志社大学烏丸キャンパス
講演者:
沢部ひとみ氏(作家)
対談者:
赤枝香奈子氏(大谷大学講師)
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」
協力:
同志社大学 菅野優香准教授ゼミ

本研修では、ジェンダー、セクシュアリティを主題とする二つのイベントに参加した。一つ目は、ロシア文学者湯浅芳子の伝記『百合子、ダスヴィダーニャ 湯浅芳子の青春』の筆者、沢部ひとみさんの講演会、もう一つは同志社大学でフェミニズム研究に携わる大学院生と合同で開催した院生研究会である。

1日目の沢部ひとみさんの講演会『湯浅芳子という生き方』は、同志社大学の菅野優香先生を初めとして企画されたオルタナティブ・ジェンダーヒストリープロジェクトの一環である。私にとって、あるいは多くの文学研究者にとっても、湯浅芳子はロシア文学者、翻訳者として著名である一方、レズビアンとしての生涯を深く知る機会は少なかった。歴史的人物を語る上で往々にして取りこぼされる性の問題、とりわけ女性のセクシュアリティについての歴史を掬い上げようというのが本企画の趣旨である。

沢部さんは、湯浅へのインタビューや彼女の重要なパートナーであった宮本百合子の手紙のやりとりをもとに伝記を記された。講演では、晩年の湯浅とご自身の個人的な思い出に始まり、湯浅の生い立ちや百合子の複雑なパートナーシップについて、また戦前の女性の生活や湯浅の階級、思想、経済状況など、様々な角度からレズビアンとしての湯浅芳子という人物について語られた。

後半は、レズビアン研究を専門とする赤枝香奈子先生との対談形式となった。特に興味深かった点は、階級や経済状況と女性のセクシュアリティの表明との関連である。赤枝先生によれば、明治、大正期において女学校の上下関係が同性愛的なものとして自他ともに受け取られている状況があった。湯浅、百合子の関係も周囲からは「同性愛夫婦」として見なされており、また1920年代にはプラトニックな同性愛関係を指す「同棲愛」という語がブームになるなど、二人はあまり性的な関係にはみられていなかったのではないかという話だった。二人が「レズビアン」という自認をどのように持っていたのかわからないが、少なくとも二人とも関係を隠すことはせず、むしろ湯浅の言動が「男のような」と周囲に形容されるために、セクシュアルな側面が落とされてきたのではないかと指摘があった。

だが、当時多くの女性は経済的な自立が困難であり、女学校卒業後は結婚、という規範に沿う形で、その関係性は一時的なものとして消えてしまう。湯浅も百合子も職を持ち、また裕福な家庭に生まれてもいる。彼女たちが自身のセクシュアリティを隠すことなく、関係を維持出来たのは、自身に十分な経済力があり、収入のある男性に結婚という形で頼る必要がなかったからではないか、とも言えるだろう。経済力と、女性やセクシュアルマイノリティの問題は現代においても極めて密接に関わる事柄であり、湯浅の場合はポジティブな評価であるが、その重要性は彼女の生涯をたどることによっても目の当たりにすることとなった。

また質疑応答での印象的な沢部さんの言葉がある。湯浅と百合子の別れの原因は、と尋ねられ、関係が成熟したためではないかと沢部さんは答えられた。直接的な原因は百合子の浮気や、マルクス主義に傾倒する百合子との思想上の違いと言われている。だが沢部さんのご指摘は、恋愛関係としてのパートナーシップは終わっても二人の信頼関係は強く残っており、結婚制度によって支えられることのない両者の関係こそ、人間関係としてあるべきものではないかという点だった。結婚の持つ一つの側面は、その婚姻関係とその維持を公にすることであると言えるが、沢部さんのご指摘は制度によって縛られてしまう人間関係の貧しさや、唯一のパートナーとの関係のみが美徳とされる性規範を疑い、同時に新たな関係性のモデルを提示されたように思う。

歴史に埋もれた様々な女性たちの生をたどることで、現代にも深く通じる諸問題や、新たにモデルとなるような生き方を知ることが出来るということを考えた講演会であった。

2日目の院生研究会は、同志社の大学院生の方々と東京大学からの参加者、また清水晶子先生、菅野優香先生、またセクシュアリティ、マンガ研究がご専門の堀あきこさんとともにセミ・クローズドの形式で行われた。テーマはポルノグラフィであり、事前にキャサリン・マッキノン『ポルノグラフィ──「平等権」と「表現の自由」の間で』、ジュディス・バトラー『触発する言葉』を読み、各参加者からのディスカッションクエスチョンから議論を深めていくこととなった。フェミニズム研究という共通項はあるものの、参加院生の専門分野は、思想、芸術、法学、社会学と多岐にわたり、異なる観点から意見が出された。

重要な論点として、現実の条例、政策の形でポルノグラフィの問題は解決できるのだろうか、という問いがある。もちろん、安易に答えが出るものではない。事前文献に関しても、マッキノンは積極的な法規制を推進する立場にあり、80年代のアメリカで反ポルノ条例を起草したうちの一人である。他方バトラーはパフォーマティビティの理論を用いながら、法すなわち国に言説の規制をゆだねることの危うさを論じる。また両者とも、ポルノグラフィ規制の問題と並置して語るのがヘイトスピーチの問題であるが、現在の日本における深刻な在日コリアンへの差別を目の当たりにしていると、表現、言説の規制はどこまで、どのように行えばいいのか、議論は尽きない。

私自身は演劇研究に携わり、表現一般への規制に対する意見には極めて懐疑的な立場である。一方、私が扱う作品は基本的にフィクションや(意図的な)パフォーマンスとされるものであり、ヘイトスピーチのような現実の日常生活における差別的言説とは異なる表現であるとも考えている。もちろん、舞台芸術の大きな試みの一つには舞台と客席、日常と非日常の境界を揺らがせる点があり、単純に舞台上はフィクションだからといってあらゆる差別が免罪されるわけでもない。芸術分野でしばしば採用される対応としてゾーニングがある。作品の内容や、セックスや暴力シーン、全裸のパフォーマーの出演といった基準により、年齢制限をかける方式である。しかし、セックスシーン一つ取り上げても、それが表現される作中設定や文脈は様々であるし、全裸のパフォーマーは必ずしも性的な意味合いは持たず、原始的なあるいは動物的なという記号になり得る場合もある。この時改めて何が「わいせつ」なのか、という問いに立ち戻る。ポルノグラフィという概念と、性器など特定の身体部位の描写がいかに組み合わさることで、何が「わいせつ」だと見なされ、規制の対象とされるのか、その判断は誰が行うのかという問いを、芸術分野に関わる者としてもう一度大きな課題として考えていかなければと思った。

研究会のみならず、懇親会を兼ねた意見交換会での交流もとても充実していた。学会や大規模な研究会を除いては、なかなか他大学の院生と出会う機会がなく、フラットに議論する機会も限られている。また地理的に離れた大学では、学内外の研究の土壌も異なり、関西関東それぞれの互いの情報交換や研究上の苦労を話し合える機会はとても意義深いものだった。IHSの軸の一つは、東京大学の外へ活動の場を広げることにあると感じているが、国内の専門領域の重なる他大学の院生、研究者との交流もまた、私の今後の研究を豊かにするものである。


報告日:2015年3月16日