「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」オーストラリア研修報告 中村 彩

「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」オーストラリア研修報告 中村 彩

日時:
2015年3月11日〜3月16日
主催:
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)教育プロジェクト5「多文化共生と想像力」
協力:
オースラリア国立大学

3月11日から16日まで、冬学期にIHSプログラムプロジェクト5で開講されていた授業「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」の一環として、オーストラリアでの研修が実施された。

学期中の授業では、いくつかの映画を鑑賞した上で、それらの映画における様々な文化表象や身体表象についてディスカッションを重ねてきた。扱った作品はチベット映画『ティメー・クンデンを探して』、イラン映画『少女の髪留め』、アメリカのドキュメンタリー映画『スーパー・サイズ・ミー』、オーストラリア映画『ジャパニーズ・ストーリー』という、極めて多様な内容のものである。

この授業の一環として実施された今回の研修のメインの企画は、3月13日に開催された、キャンベラのオーストラリア国立大学(ANU)アジア太平洋研究科・文化歴史言語学科(School of Culture, History and Language, College of Asia and the Pacific)との合同ワークショップ「身体・眼差し・テクスト」である。今回私たちの受け入れを担当してくださったのは、インドネシア研究がご専門のアリエル・ヘリヤントAriel Heryanto教授であり、当日はIHS側から提案した『おくりびと』とヘリヤント先生の提案された『スカルノ』の2本の映画が取り上げられ、学生らの発表およびディスカッションが行われた。

「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」オーストラリア研修報告 中村彩

ワークショップでは、挨拶と簡単な自己紹介の後、まず全員で『おくりびと』を鑑賞した。セミナー室の隣の休憩室で議論をしながらのランチタイムの後、東大側の学生が、ディスカッションをするにあたって重要と思われるいくつかの論点について発表を行った。『おくりびと』は2008年に世界的にヒットした日本映画で、主人公がオーケストラのチェロ奏者を辞めて納棺士(遺体を棺に入れる納棺の儀式を行う人)になるまでを描いたものである。最初に映画全体を概観する形で、この作品におけるナラティブの構造や映画のスタイル等について発表が行われた(于寧さん)後、私自身はこの映画における日本の伝統文化の表象について論じた。次に家族の表象やジェンダーにかかわる問題が取り上げられ(平井裕香さん)、最後におぞましい死体を美しく描くことの意義ついて、ジュリア・クリステヴァのアブジェクションの概念を用いつつ論じられた(栗脇永翔さん)。次にチベットとイランにおける弔いについて紹介があったのち、ディスカッションでは、日本における仏教や神道などの宗教のあり方や、インドネシアほか各国における弔いの文化の違いについて議論が展開された。

私自身は他の国の学生がこの映画のどの部分を「日本的」だと感じるのかを聞いてみたかったのだが、この点でとりわけ興味深かったのは、多くの学生が映画中で使われている音楽が「キリスト教的」「西洋的」であるのはなぜなのか、疑問に思ったと述べていたことである。日本の観客は、使われている久石譲の曲が西洋の音階の音楽であるからといって特に「西洋的」であるとは感じていないと思われるが、文化的背景が異なれば見方や解釈も異なるということを示す一例であった。

「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」オーストラリア研修報告 中村彩

ワークショップ後半では、インドネシア初代大統領スカルノが1945年8月17日にインドネシアの独立を宣言するまでを描いた映画『スカルノ』(2013年)を鑑賞した。これは、そもそもインドネシア映画をこれまで見たことがなかった私にとっては、学ぶことの多い作品であった。インドネシアの植民地時代の歴史や戦時中の日本との関係、インドネシアでは神話的英雄として扱われることの多いスカルノの存在や、宗教的・民族的多様性とナショナリズムの問題、あるいは作品中の日本表象やハリウッド的要素とボリウッド的要素の融合など、考えるべき論点は多く、活発な議論が行われた。

当日は、休憩中や夜の懇親会なども含め、一日を通して先生や学生と交流ができたことは、私にとって非常に嬉しいことであった。インドネシア出身の学生やインドネシア研究を行っている学生が多かったこともあり、インドネシアとオーストラリアとの「近さ」も実感できた。東大とANUは今後も関係を強化していくということだったが、またこのような交流の機会があれば積極的に参加したいと感じた。

4日間の研修日程の前半はキャンベラに、後半はシドニーに滞在し、キャンベラのオーストラリア国立美術館、シドニーのニュー・サウス・ウェールズ州立美術館や、開拓時代の建物の残る地区ロックスなどを訪れる機会に恵まれた。ワークショップでの発表は「日本的なもの」とは何か、という問いについて考えるものだったが、研修に行ってみて今度は逆に「オーストラリア的なもの」とは何かということについて考えるきっかけを与えられた。

ひとつ特徴的なものを挙げるとしたらそれは、様々なユーカリの木や赤茶の土といった「オーストラリア的自然」であると言えるかもしれない。あるいは文化・歴史的観点では、いたるところに残る英国的な地名(キングス・クロス、パディントンにヴィクトリア、プリンス・アルバート...)や開拓時代からの遺産は、この地がまぎれもなく英国の植民地だったことを示している。他方で、現在のオーストラリアは多文化主義を標榜する国でもある。オーストラリア国立美術館の別の一角を占めるのはアボリジナル・アートや東南アジアやポリネシアのアートであったし、様々な文化の流入は、数日の滞在の間に私たちが食べた料理にも現れていた。そこでは私自身が普段研究の対象としているフランスのような、国家としての強力な「自我」を持った国とはまた異なる、ゆるやかにつながる多様な文化のあり方を垣間見ることができたように思う。

「多文化共生・統合人間学実験実習Ⅶ」オーストラリア研修報告 中村彩
報告日:2015年3月23日