プロジェクト1「生命のかたち」フランス研修報告
(2014年度夏学期「多文化共生・統合人間学実験実習1」) 陳 海茵、中村 彩

プロジェクト1「生命のかたち」フランス研修報告
(2014年度夏学期「多文化共生・統合人間学実験実習1」)
陳 海茵、中村 彩

日時
2014年9月22日(月)−30日(火)
場所
ラ・トゥーレット修道院、ほかフランス各地
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト1「生命のかたち」

IHS教育プロジェクト1「生命のかたち」では、2014年度夏学期の「多文化共生・統合人間学実験実習1」として、9月22日から30日にかけて、フランス各地における約一週間の研修を行なった。研修中の主なプログラムは下記の通りである。

  1. 学生の自主企画によるグループ研修(パリでのストリート・アート調査)
  2. 本学・加藤道夫教授の案内による、パリのアール・ヌーヴォー建築の見学
  3. リヨン高等師範学校における、カンファレンス「芸術と日常性」への参加
  4. シュルレアリスム等に大きな影響を与えた「シュヴァルの理想宮」の見学
  5. リヨン郊外のラ・トゥーレット修道院における宿泊研修(講義および実習)

パリ、リヨン、オートリーヴ、ラルブレルの各地で行われた本研修では、学生主体の調査や実習に加えて、本学の小林康夫教授、加藤道夫教授、大石和欣准教授、桑田光平准教授、およびヨーロッパの諸大学で教鞭をとるカトリーヌ・グルー、エリーズ・ドムナク、カミーユ・ファラン、ボヤン・マンチェフの各氏による講義が行われた。

本研修には七名のIHSプログラム生が参加した。以下、そのうち二名の報告を掲載する。


陳 海茵

今回のフランス研修に参加するにあたって、私は自分自身に対して漠然と三つの目標を掲げた。1)ストリート・アートを巡りながらパリという街の内部にある多様性を見つける。2)フランスの代表的な美術館や博物館を訪れて、自分がこれまで見てきたアジアやアメリカのそれと比較してみる。3)ラ・トゥーレットに滞在して、近代建築家ル・コルビュジエの思想と、建築と身体の相互作用に思慮を巡らせてみる。これまでの人生でヨーロッパ大陸に足を踏み入れたことがなかった私にとって、パリ、リヨン、ラ・トゥーレットは歩いているだけで新鮮かつ刺激的であったため、意識しなければ上記の目標など念頭に留めることすら難しかったが、それでも、自分が感じた諸々のことを上記の三点を中心にして振り返りたいと思う。

パリ研修の二日目はグループ研修が予定されており、私を含めた学生参加者八名はパリのストリート・アートを巡るミニツアーに参加した。現地でストリート・アーティストをしている方のガイドと解説を受けながら、三時間ほど街を練り歩き、有名な作品を中心に見て回った。私にとって特に印象的だったのは、パリのアーティストは建物の上層階に絵を描くこともしばしばで、地面や目の高さで描こうとするベルリンやニューヨークのアーティストとは異なるということだ。もともとストリート・アートを制作することには法を犯すというリスクが付き物だが、パリのアーティストたちは法律以外にも自分たちの生命を危険に晒しながらワークしているのだという。顔を見上げなければ気付くことのできない作品も多く、スマートフォンを操作しながら歩く現代人「を」アート「が」見下ろしているように私には感じられた。情報化が浸透し、あらゆる物事がGoogle検索できる社会になったと言われるが、言葉に頼らないメッセージがパリの街には確かに存在していることを知ることができた。次のようなフレーズがストリート・アートの一角に記されていた。"WE NEED WORDS THAT CAN NOT BE SPELED."

今回のフランス研修では、複数の美術館と博物館に訪れることができた。特に印象に残っているのは、フランス革命の展示で有名な「カルナヴァレ館」とリヨンにある「レジスタンス博物館」である。この二つの館に共通して興味深かったのは、常設展と企画展のギャップから来る斬新さである。両者ともに、常設展は建物全体から展示品まで過去の時代を残すように工夫されており、一歩踏み入れた時からまるでタイムスリップしたような錯覚に陥る。いっぽう、企画展は極めて現代的で、カルナヴァレ館では「第二次世界大戦期の報道写真展」、レジスタンス博物館ではアメリカンポップのタッチで描かれた「コミック漫画展」で、子ども達が訪れたら思わず見入ってしまいそうなものだった。過去の時代のものを扱う博物館や資料館にはどうしても退屈な印象がつきまとうが、いかに楽しんで観てもらうかということを重視した発想は博物館の将来の在り方を示す良い模範であると感じた。

最後に、ラ・トゥーレット修道院での体験とそれの感想を述べて、報告を締めくくることにする。ラ・トゥーレットの個室は、人体の比率に合わせたモデュロールという手法で設計されているそうで、どこまでも続く直線的な廊下と四角いボックスのような部屋は、極めて禁欲的、均質的でシンプルな印象をぶつけてきた。滞在二日目に、他の参加者四人と外の芝生で修道院を眺めながらヨガをしたが、自分の身体をまっすぐ立たせたり、手足を地面と水平に延ばしたりすることが想像以上に難しく、芝生に映る自分の影を見ても、修道院の内部で見た光と影の直線とはほど遠いものだった。この建築物は、空間を規格化することで、人体の動きや人間の視野を制御し、生活のリズムを均質的にする力を持っていそうだが、人体そのものの持つ柔軟性やしなやかさがそれにどこまで対抗できるのかが気になった。もっとも、これは長く滞在してみないと分からないことなので、もしまた訪れる機会があったらぜひ考えてみたい。

報告日:2014年11月7日


中村 彩

2つのパリ:ストリート・アート(11・20区)/近代建築の勃興(16区)

パリでの研修一日目は、学生だけで事前に申し込んであったストリート・アートのプライベート・ツアーに参加した。ツアーはストリート・アートの記録や紹介を行う団体アンダーグラウンド・パリが行っているもので、自身もアーティストであるアントワーヌ・ウェーバー氏が三時間にわたりガイド役を務めてくださった。ストリート・アート作品が多くある20区ベルヴィル周辺は、いわゆる移民街で、賑やかな市場やチャイナタウンなどがある地区である。ツアー中の議論ではストリート・アートとグラフィティとの違い、八〇年代にはギャング同士の縄張り争いの一部であったような「グラフィティ」が後に「ストリート・アート」になっていった歴史的経緯や、その違法性、公共性といった問題が取り上げられた。アートという制度への異議申し立てであることが、公共の開かれた場において無償で作品を提示するストリート・アートの基本的なコンセプトだとするならば、当局が厳しく管理するベルヴィル公園内に、市の依頼を受けて創られた作品はストリート・アートと呼んでいいのだろうか、といった問いが提起された。

翌々日の研修三日目は、ル・コルビュジェを専門とされる加藤道夫先生による、一九世紀末から戦間期にかけて勃興しつつあった近代建築をめぐるツアーに参加した。パリの西端16区はクラシックな建物が並ぶ高級住宅地だが、よく見ると、オーギュスト・ペレのアパート建築、エクトール・ギマールのカステル・ベランジェ、ル・コルビュジェのラ・ロッシュ邸といった新奇な建物があちこちに見られ、アール・ヌーヴォー、アール・デコからモダニズムへという建築の流れを辿ることができる、とのことであった。

印象的だったのは、初日に見たパリと三日目にみたパリとの著しい対照性である。ストリート・アート・ツアーで見たベルヴィルは、様々な文化圏の人々が集まる街の中で雑多なものが入り混じり、有象無象の集まりといった様相を呈していた。これに対し三日目に訪れた16区のパリは全く別のもので、きれいに整備された閑静な高級住宅地では、建物だけでなくスーツ姿の人々や広い道路でさえもがある種の統一感を作り上げていた。パリの街にこれほどにも異なる二つの顔があるということ、そしてそこでは歴史もかたちも全く異なるアートが生み出されているということ、それを実感したパリ研修だった。

学生との交流

五日目にはパリからリヨンに移動し、リヨン高等師範学校(ENS)の学生と「日常」についてのワークショップが行われた後、懇親会が開かれた。個人発表はできなかったものの、学生との議論を通して自分の研究に関する事柄も含めいくつかの発見があり、今後の自分の研究にとっても有意義な出会いの場となった。リヨンのENSは今後も東大との関係をさらに強化していきたいとのことだったので、また機会があれば積極的に参加していきたいと思う。

ラ・トゥーレット

研修の最後の二日間はリヨン近郊のラ・トゥーレットにあるドミニコ会の修道院に泊まった。そこで聞いた講義や修道士の方の話も非常に興味深かったのだが、印象に残ったのはやはり何といっても五〇年代にル・コルビュジェが設計したこの修道院自体である。建物の構造、色づかい、無駄を排した作り、建っている土地の地形等ももちろん面白いが、個人的に惹かれたのはこの場所の「音」であった。

建物全体が打ちっぱなしのコンクリートでできており、また壁が薄いこともあって、音が非常によく響く構造になっている。しかし修道士の居住を目的としてできた個室部分は、本来は瞑想のための静かな場所であり、うるさく騒ぐことは許されない。(廊下のあちこちに「静かに」との張り紙がしてある。)夜、明かりがほとんどない暗い廊下では、時折ドアが閉まる音などが響くものの、そこにはある種の緊張感をはらんだ静寂が支配している。一方、昼間は人の出入りがありにぎやかな屋外も、陽が落ちてから屋外に出てみると、東京ではありえないようなほぼ完全に無音の空間が広がっている。このような静けさに囲まれた修道院だが、圧倒的な「音」が響く場所がひとつだけある――北側の聖堂である。他のカトリックの大聖堂などに比べると、装飾をそぎ落とされたコンクリートの聖堂は無機質で殺風景でさえあるが、ここの音の響きは圧巻であった。滞在中、聖堂で行われる礼拝と日曜のミサに参加させていただいたが、そこでの讃美歌や祈祷はやはり何か特別な響きをもっていたように思う。

報告日:2014年11月7日