京都風水研修「景観に関する統合的在来知の理解と近代学問知との融合」報告 山田 理絵

京都風水研修「景観に関する統合的在来知の理解と近代学問知との融合」報告 山田 理絵

日時
2014年8月2日(土)〜9日(土)
場所
京都(総合地球環境学研究所、平安宮大極殿址、晴明神社、双ヶ丘、船岡山、仁和寺、宇多天皇陵、上賀茂神社、下鴨神社、八王子山、伏見稲荷大社、無鄰菴)、滋賀(延暦寺、日吉大社)、奈良(三輪山、大神神社)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス──市民社会と地域という思想」

1.いまなぜ「風水」を切り口に選ぶのか

 風水思想は古代中国に発し、「朝鮮・台湾・ベトナムなど東アジアに広範囲にわたり政治や生活に強い影響を及ぼしてきた」思想であり(福岡義隆 1996:165)、この思想は、平安京の造営に影響を与えたとされる(三浦國雄 1988:433)。本研修は、村松伸教授(生産技術研究所・工学系大学院建築学専攻/総合地球環境学研究所)が立案され、その目的は、風水思想と京都との地理的・歴史的関係を学び、「人間――自然――介入行為の三者の関係(=景観知)」を明らかにすることであった。
 日本では1990年代に「風水ブーム」と呼ばれる現象が起こり、風水という言葉は一般に定着したように思われる。しかし、ブームと呼ばれた「風水」は、マーケットの形成や地域活性化といった経済活動と密接に関連しているという指摘もあり(宮内貴久 2011)、古来の中国において、人々が景観から読みとろうとした「風水」思想とまったく同じであるとは考えにくい。
 それでは一体、風水ブームの「風水」が象徴することと、景観から読みとれる「風水」の在り方とは、何が似通っており、または異なるのだろうか。また、現代において後者の意味での「風水」を捉えようとする試みにはどのような意義があるのだろうか。報告者はそうした問いを浮かべつつ、村松伸教授、中国・華南理工大学の程建軍教授ほか二名の講師の方々、さらに総合地球環境学研究所や京都大学東南アジア研究所の研究員の方々、通訳の方およびIHSプログラム生3人とともに京都を囲む山々を登り、神社を歩いてみた。

2. 京都の景観から読みとる風水

─蔵風得水(ぞうふうとくすい)

 大陸や朝鮮半島から入ってきた風水思想の用語として、「蔵風得水」がある。これは、「適当な風と水とが保たれている」土地のことを指す(赤田光男 1986:139)。すなわち、「日当たりもよく、風も吹き抜けず、前方に眺望がそなわって、何とも落ち着いた雰囲気の地形の型、パターン」のことである(樋口忠彦 1981:108)。このような、「地中に流通する正気が、水によって限られ風によって散らぬ場所に、家を建て死者を埋葬すれば、その気を受けて子孫の幸せが約束される」(樋口 1981:107)という。


双ヶ岡からみた京都(写真1)
日吉大社からみた京都(写真2)

─龍脈

 風水思想を方法論として利用する「風水判断」には、「地形判断」と「方位判断」がある。これらは一般に、家屋の新築、家の修理、墓の造営、墓の修復などのときに利用される。そのさい、風水師はまず地形判断を行って、「来龍去脈」をみきわめる。つまり、「気」の去来する方向を地形から判断することである(渡邊 2001:189)。風水では土地の起伏を「龍」にたとえる(赤田 1986:142、渡邊 1990:27)のだが、山や川から発せられる貴重な気を「龍気」といい、気が流れる道筋を「龍脈」という。


(写真3)
(写真4)

 写真3は、延暦寺バスセンターの駅付近から撮影した写真であり、写真4は龍脈の線を書き込んだものである。写真は天台宗の寺院である寂光院のある方角で、風水的に良い方角だとされる。龍脈がはっきりと見え、かつ、いくつもの山の輪郭が重なり合うように見えて、視覚的に美しいと感じられた。

─磐座

 「磐座」とは神の依り代としての石や岩のことである。「いわくら」という言葉は、「岩坐」(『播摩国風土記』)、「磐座」(『日本書紀』)、「石位」(『古事記』)など、古典の中にもさまざまな表記で登場している。磐座は風景と信仰空間との核であったのである(野本寛一 2006:120-122)

(写真5)
(写真6)

 写真5は、「日吉大社摂社三宮神社本殿」と「拝殿」である。写真の左手が拝殿、右手が本殿である。本殿と拝殿の間にある石段を登ったところに、写真6の大きな岩がある。
 磐座はフィールドワークを行った山々の随所に見られた。それだけでなく、野本が「日本人が、古来、岩石はもとより岩山から真砂に至るまで神霊が憑依するものとして意識してきた」というように、様々な場所で神聖な石が祀られている。写真7は上賀茂神社にある「願い石」であり、写真8は下賀茂神社にある、日本の国歌にもうたわれた「さざれ石」である。


(写真7)
(写真8)

(写真9)

─陵墓

 一般的に、風水は「陽基風水」と「陰宅(墓地)風水」に分けられる。本項では陰宅風水に分類される天皇陵をみてみたい。右の写真9は、宇多天皇の陵墓である。程建軍先生によると、宇多天皇の陵墓は風水的に解釈すると「良くない」位置にあるという。これに対して、写真11は一条天皇の陵墓の写真で、写真10はその陵墓のある場所から見渡せる景色である。程先生によれば、一条天皇の陵墓は風水的にも非常に良い場所に位置しているという。


(写真10)
(写真11)

 実際に宇多天皇と一条天皇の陵墓に行き、報告者の印象に残ったことは、宇多天皇陵は山の奥の薄暗い場所にひっそりとたたずんでいるということ、それとは対照的に一条天皇陵は風通し・見晴らしがよく心地よいということである。ここでもやはり、感覚的な好ましさを感じる場所と、風水的に吉とされる場所が一致していた。

3.風水思想と身体感覚

 <ある場所がなんらかの力を持つか否か>という問いに対する答えは、大きく意見が分かれるところであろう。しかしながら、ある場所に「力」が本質的に備わっていたとしても、何かを説明するための解釈として「力」という概念が構築されたのだとしても、「力」なる認識は、認知・解釈の主体としての人間が介在しなければ成立しない。風水をキーワードとして京都の山々を登り、神社に赴き、街を歩いたことによって、思想の影響、感覚的な経験、建築の在り方、その3つが重なる部分を、文献調査とは異なる側面から理解できたのではないかと思う。それが、おそらく本研修の目的であった<人間――自然――介入行為の三者の関係>を身体的に理解するということであり、現代に生きるわれわれが「意識しなければ」得難い感覚を学問と行き来しながら経験するという実践であったと思う。
 本研修で得られた知見と経験は断片的なものであり、風水思想の奥深さ、研究の蓄積を前にして<風水を理解することの難しさ>も実感した。京都の景観から読みとれる風水思想と、そこに暮らす人、訪れる人の介在的なプロセスを描き出そうとするならば、宗教的な影響、労働や娯楽の歴史、地元住民の声を詳細に調査する必要がある。もしかすると、近代的な科学知のなかで生きるわれわれが風水を知ろうとすることの難しさは、もっと根本的なことにあるのかもしれない。それは、Freedmanが指摘する「人間と自然とを厳格に区別する伝統の中で育った者にとって、一度に 風水(フォンシュイ) の根本的な前提を把握すること」の困難さである(Freedman 1966=1995:158)
 こうした限界を感じつつも、自身の研究から離れた領域に目を向けて、異分野の先生や学生と過ごした7日間で、文化的・学問的関心が広がったことは間違いない。特に、8月8日に「無鄰菴」で開催された報告会の、各参加者のプレゼンテーションが印象に残っている。なぜなら、研修という同じ経験がそれぞれの専門に基づいて異なる形に切り取られ、それに対して様々な解釈が付されているのを聞けたことが、実に新鮮であったからである。
 最後に、様々な「他」に触れる機会は、ただ単に知識や関心の広がりをもたらすだけでなく、その都度、日ごろ自身が依拠する理論や方法論の未熟さをも自覚させてくれるということを改めて感じた。フィールドワークで見た、自然の在りよう、人々の生活の世界、身体的感覚といったものを、的確に記述し解釈するための学問的な道具を使いこなせるようになるよう、今後も努めていきたい。

報告日:2014年8月24日