Gerhard Wolf 連続セミナー
「過去の記憶と克服——ヨーロッパとアジアの比較」報告
楠本 敏之、于 寧、王 夢如、前野 清太朗
- 日時
- 2014年7月22日(火)〜 25日(金)
- 場所
- 東京大学駒場キャンパス8号館2階209教室(7月22日〜24日)、3階320教室(7月25日)
- 講演者
- Dr. Gerhard Wolf (University of Sussex)
- 主催
- 東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」教育プロジェクト2「共生のプラクシス―--市民社会と地域という思想」
- 協力
- 東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究センター(DESK)、日独共同大学院プログラム(IGK)
楠本 敏之
本セミナーは、歴史学者としてナチス・ドイツの東部総合政策の問題等の研究をされてきたGerhard Wolf博士により、ヨーロッパとアジアの第二次世界大戦に係る歴史と記憶を主題として4日間にわたって実施されたものである。最初の3日間は英語、最後の1日はドイツ語を主言語として行われ、私は英語で行われた最初の3日間参加した。戦争を含む歴史と記憶との一般的な関係、加害者としての記憶、被害者としての記憶等様々な視点から議論が行われた。
歴史に関係する本セミナーの性質上、背景知識の習得等のための事前の準備が必要であったため、2度にわたり事前勉強会が開催された。第1回は、高橋哲哉『戦後責任論』をテキストとして、戦争に係る責任(特に戦争の経験のない世代の責任)、戦争の記憶とその継承、戦争の過去との和解、戦争責任の処罰等の困難な問題について、原理的に考察をし、第2回は、Wolf博士が事前に指定した文献リストから、参加学生らが選んだ文献について、歴史と記憶、過去の責任追及とその隠蔽、被害者としてのナショナリズム等、本セミナーと直接関連する重要問題について、認識を深めた。
このような事前の準備を経て、セミナーが開催された。セミナーの冒頭にWolf博士による講演が行われ、簡単に、Wolf博士の関心のあり方や歴史と記憶についての概論が述べられた。もっとも、私が参加した3日間については、Wolf博士による講演・講義というべきものは、この初日の冒頭だけで、後は、各日に行われた学生による報告や関連する主題について、双方向的で自由な議論がなされた。
特にここでは自らが行った2日目のプレゼンテーション("Japan's Forced Labor at the Period of the Pacific War")に関連した議論について述べておきたい。このプレゼンテーションは、日本によってなされた強制労働の制度的側面を法的・統計的に素描する簡単なものであった。ただ、強制労働については、日本に限らず、戦争責任の場面でしばしば言及される主題であるにもかかわらず、その定義を含め議論の対象すら不明確であり、とかく問題の本質が隠されてしまうような形での議論になる傾向があることから、強制労働に関する法的制度的体系を明確に示しつつ、今回のセミナーの重要な主題の一つである集合的記憶の核ともいうべき歴史的事実をできる限り明らかにし、議論の叩き台とすることを目指した。私が日本の強制労働を理解する上で重要と考えることは、朝鮮人に対する同化政策に基づく強制労働と中国人に対する敵視政策に基づく強制労働との共通点・相違点や日本人への労働動員と朝鮮人・中国人への強制労働との関係(法的適用等において、重なる部分とそうでない部分があり、複雑である)等のような強制労働政策の細部の正確な認識であった。このような単なるイメージではない細部のあり方に、当時の日本の意図や植民地支配等の実態が鮮明に現れ、それを基礎として明確で充実した議論が可能となると考えたのである。実際にも、ナチス・ドイツの東部総合政策の問題を研究されてきたWolf博士がドイツにおけるポーランド等の東欧諸国とロシアに対する取扱いの相違に言及したこと等を皮切りに、参加者全員により強制労働そのものからその他の虐待・虐殺行為、植民地支配全般に至るまで、関連する事項について充実した議論が行われることとなり、私にとって非常に勉強となるものであった。
今回のセミナーにおいては、専門外ではあるものの、市民・人間として重要な普遍的主題に関して英語で議論・報告する経験ができ、私にとっては非常に有意義なものであった。今回のセミナーは、第二次世界大戦に係る、主として日本とドイツの歴史と記憶という広範な領域を対象としたものであったことから、3日間各日2時間程度の議論ではすべての関連事項について十分な議論が尽くされたとは言い難いが、可能な限りに歴史についての認識を深め、多文化共生に寄与するものであったといえるだろう。もっとも、議論の対象となりうる領域が広すぎたため、やむを得ないことであったとは思うが、総体的にみてやや議論が散漫になった部分もあった。今後においては、事前にその日のテーマを絞って、例えば、『アンネの日記』を除き今回必ずしも十分に議論できなかった歴史・記憶と様々な芸術的表象との関係等の特定の重要な事項について、集中的に議論するなどの試みを行ってみてもいいのではないかとも感じた。
于 寧
報告者は中国出身で、中日両国間の歴史問題を巡る論争を長年経験してきて、喧嘩ではなく、お互いに落ち着いて議論し合う必要性を痛感している。今回の連続セミナーは日本、韓国、中国からの参加者だけではなく、戦争に関する歴史問題を解決するにあたり、「模範」とされるドイツから専門家が講師として参加してくださり、ヨーロッパの状況と視点を提供してくれるのが素晴らしいと思い、参加させていただいた。
報告者は22日の発表を担当した。Gerhard Wolf先生が事前準備のために挙げられていた文献に基づいて、Memory Studiesの歴史の流れを纏め、collective memoryやcommunicative memory、cultural memoryといった基本概念、またmemoryとhistory、記憶と歴史の区別について簡潔に紹介した。さらに、これらの基本概念を中心に、"Censored Cultural Memory"と題して自分の専門である中国インディペンデント映画と中国インディペンデント映画祭を取り上げ、cultural memoryに関わる空間問題を提起した。その後、cultural memoryの形式など、幅広い議論を行い、memory studiesに対する理解を深めた。
三日間の連続セミナーを通じて、ドイツとヨーロッパのことが分かっただけではなく、中国、日本、韓国またアジアのことに対する理解も深めた。特に、中国と韓国に賞賛されてきたいわゆる「ドイツモデル」が、実はアメリカなどの外部のプレッシャーを受けて問題の解決を模索した結果でもあったことが分かり、アジアとヨーロッパの状況を正確な現代史の理解に基づいて比較する必要性を感じた。また、中国人として、日本政府へ戦争責任を求める自分の立場は変わらないと思うが、これらの問題を考えるときに、中日対立を超え、より大きな枠で考える必要があると強く感じた。
王 夢如
報告者は、三日目(セミナー本番)に、"We are living in a world of victims"をテーマにして報告を行った。先ず、林志弦氏が指摘した被害者意識によるナショナリズム(Victimhood Nationalism)の暴走について――今日の世界では被害者意識は至る所に蔓延し、それが歴史再建のプロセスを阻害しているのではないかと――問題提起した。しかしながら、こうした普遍的な被害者意識にも様々なかたちがあり、決して排他的なナショナリズムを助長するわけではないということを説明する為に、ソ連が満州に進撃中の1945年の中国を舞台にした映画の「紫日」、アンネの日記の世界的なブームなどを挙げた。
事前勉強会では日中韓三国から集まった参加者達一同でその場で東アジア地域に暗い影を落とした世界大戦、戦争体験そして戦後責任について議論することができたが、これは決して容易なことではなく、「こんなことを言ったら大丈夫なのか?」と繰り返して心底で自分の発言の妥当性を吟味し、時に躊躇し、ディスカッションはいつも予想以上に長く続いた。更に、セミナー時にはヴォルフ氏を加えて、他の参加者がユーロッパとアジアに共通して見られるような戦争の記憶を語ることに啓発され、地域をひとつのユニットとして歴史再建を行う際に、参考すべき点などに気づいた。歴史を共有する私達が苦労しながら、真剣にお互いと考えを交わし、地道な努力を重ねることによって、過去のしがらみを克服できるという共通感覚がその場に居た参加者達の中で芽生えつつあるはずだと考えている。
前野 清太朗
第三日目のテーマはドイツおよび日本における「被害者性」に関してであった。王夢如さんからはリーディングスの論文に即して「被害者性」に関する問題提起が、報告者(前野)からは、"New Nationalism and Victimhood in Former 'Japanese Soldier' Case"というタイトルの報告で台湾人元日本兵(および日本軍属)の事例を紹介して、アイデンティティ形成にかかわる「被害者性」の記述に対する問題提起がなされた。この日は参加者の多くが把握する東アジア諸国の状況に関して「被害者性」がその各国内でのアイデンティティ形成なりナショナリズム形成なりといったものと結びつきやすい状況につき意見交換がなされた。関連して参加者各人が記憶する歴史教科書の記述内容などについても語り合われた。東アジアの状況との対比から、ヴォルフ講師に対してもドイツ含むヨーロッパの状況に関する問いかけがいくつかなされた。それらは「外国人」参戦者の取り扱いなど事実確認から、しだいにどこまで比較を行うべきかに関する根源的な問題へも話が及んだ。そこにはジェノサイドの「元型」としばしばみなされがちなホロコーストを、非ヨーロッパ圏の歴史を考える際にどこまで比較対象としうるかといった議論も含まれた。
ヴォルフ講師を迎えた今回のセミナーは、総じて報告者にとり自らがもつ思考のコンテクストを改めて客体化する有益な機会であった。IHSのプロジェクト内には異なる国籍・異なるアイデンティティのメンバーが所属するが、普段相互の思考を確認しあう機会は決して多くない。ゆえにセミナー内で他メンバーの思考を伺いえた点からも、やはりよい機会であった。今回のセミナー参加者の国籍はドイツと日本・中国であったが、いずれは参加者の多元性を増す形で、継続的な対話としてなされてゆくことでさらに意義があるものとなってゆくであろう。