多文化共生・統合人間学演習II(第6回報告) 石井 剛

多文化共生・統合人間学演習II(第6回報告) 石井 剛

日時
2014年6月14日(土)13:00−15:00
場所
東京大学駒場キャンパス101号館2階研修室
講演者
橋本和典(国際基督教大学准教授)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)「共生のプラクシス」教育プロジェクト

2014年6月14日(土)、13:00から、橋本和典先生(福島復興心理・教育臨床センター代表、国際基督教大学)による「3.11後福島における共生の課題―精神分析的心理療法の観点から―」と題する講義が101号館2階研修室で行われた。心理療法家として本学の学生相談所でも活躍される橋本先生は、東日本大震災後の福島でPTSD治療を実践している。PTSDのやっかいなところは、心の傷(トラウマ)が心の奥底にしまい込まれて、忘れられたかのように、いや、なかったことであるかのように置き去りにされたまま、癒えることなくとどまり続けることらしい。ことは個人にとどまらない。巨大災害の経験とその傷を共有しているコミュニティ全体がそのようなトラウマを共に内に抱え込んだまま解きほぐすことができないでいる。いわゆる集団PTSDだ。

第一次世界大戦がトラウマ研究のターニングポイントになった。快を求め苦を逃れようとする合理的人間像ではないものをフロイトはそこで見てしまった。それは、もしかすると人は死を欲望しているとしか言えないのではないか、と彼に感じさせる状況だった。それから100年以上の「エンデバー」が、心理療法の研究者と実践者たちによって積みかさねられ、ようやくいまの精神分析的心理療法(Psycho-Analytic Psychotherapy)に至った。この療法においては、心理的な症状を抱える人たちには共通してトラウマ体験があるという仮定を前提する。とりわけ乳幼児期に刻まれたトラウマはそのまま人格形成に影響し、発達障害のような症状にもあらわれる。

治療には高度の専門性がともない、それを獲得するにはとても長い訓練が必要らしい。物理的な療法(薬物や電気治療)や、ともすれば単なる相談に終始してしまいがちなカウンセリングだけではどうにもならない、その人の心へのアプローチがそこでは求められるのだという。これは高度な技能だ。だが、心理療法の根本は、わたしたちが人として生きていく上でも欠かせないある種の態度にそのまま重なるようにも思える。それは橋本先生の言葉によれば、ひとりひとりが持っている「心の宇宙」(Intra-psychic world)を大切にすることだ。「愛し/愛される」感覚の共有、それはわたしたちの心の平穏を支える基礎であろう。セラピーにとってもそれこそが重要な出発点になるという。

だが、社会全体に広がる「頑張れ」、「頑張ろう」という鼓舞や激励の中で、「わたし/わたしたちはだいじょうぶ」と信じようとする人たち、傷を思い出す/思い出させることでほかの人をさらに傷つけてしまうのではないかと心配する人たち、トラウマを語り出せない環境の中で気丈に大人しくふるまおうとする子どもたちにとって、こうしたセラピーは往々にして拒絶の対象ですらある(橋本先生は自分の仕事を「押しかけ用心棒」だと述べる)。そうした否認的反応はPTSR(心的外傷後ストレス反応 posttraumatic stress reaction)のあらわれであり、放置しておくとトラウマが長期にわたって隠され、数十年後に「晩発性PTSD」として吹き出すことにもなりかねない。広島、長崎、沖縄はそうした事例を示しており、福島もその危険にさらされているという。自殺を含む「関連死」、心臓疾患などの疾病、交通事故の増加、アルコール依存、さまざまな不安亢進傾向など、徴候は広範囲に及ぶ。それは、地震・津波・原発被災につづく「四番目の災害(fourth disaster)」である。

橋本先生たちの目下最大の悩みは、このような深刻な状況を前にして、専門的なセラピストが絶対的に不足していることにあるようだ。しかし、希望の端緒は、むしろあちらこちらに転がっているもののようにわたしには思えた。「心の宇宙」に寄り添うこと、小さな「愛」を相互に実感すること、それがセラピーの根本にある精神だとすれば、専門のセラピストではないわたしたちにもできることはきっとあるからだ。共生・協働はセラピストと患者の関係だけではなく、よりひろがりゆく人と人の関係にも委ねられている。大上段に構えなくてもいい、深刻ぶらなくてもいい。わたしたちは多かれ少なかれ、みなそれぞれのトラウマを抱え、「心の宇宙」を持っている。弱さに向き合うこと、与え合うこと。セラピーとは、人と人のコミュニケーションの基本に横たわるそうした関係性のアートにきっとほかならないのだと思う。

報告日:2014年6月15日