つくばみらい市農業実習 事前研修 報告 小村 優太、内藤 久義、那 希芳

つくばみらい市農業実習 事前研修 報告 小村 優太、内藤 久義、那 希芳

日時
2014年4月19日(土)9:30〜20:00
場所
茨城県つくばみらい市寺畑の圃場
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)「共生のプラクシス――市民社会と地域という思想」教育プロジェクト
協力
NPO法人「古瀬の自然と文化を守る会」

小村 優太

 我々は4月19日(土)に、IHS「共生のプラクシス」教育プロジェクトの活動として開催された「古瀬の自然と文化を守る会」の農業研修(茨城県つくばみらい市寺畑)に出かけた。IHSプログラムからは、中島隆博教授、村松眞理子准教授、梶谷真司准教授、そして特任研究員3名が参加した。今回の研修は、次回以降IHSプログラム生が参加するための事前研修なので、教員と研究員のみの参加であることを申し添えておく。 また、この企画には東京大学大学院農学生命科学研究科農学国際専攻の協力も戴いており、小林和彦教授、井上真教授、そして農学国際専攻の修士一年の学生たちと一緒の参加であった。
 朝の9時30分に関東鉄道常総線の小絹駅で待ち合わせ、2kmほどの道を歩き、実習の舞台である寺畑農地に向かった。寺畑は、名前の通り以前は畑作をしている地域だったようだが、現在は地下水を引いて稲作も行っているようである。この時はまだ時期でなかったので、あと1月もすれば水が引かれる田んぼはカラカラに乾燥していた。
 総勢15名ほどの我々は、杉の皮を剥く班、階段の手すりを作る班などに分かれ、午前中は銘々がその作業を行った。私は杉の皮を剥いていたが、最初はうまく扱えなかった鎌や鉈が、次第にうまく使えてくるのには、思わず少し感動してしまった。
 昼には、近くの公民館に移動して、昼食をみんなで食べて休憩した。この公民館も、古民家造りと融合したような建物で、非常に立派であった(今も現役で使われているのかはわからないが、囲炉裏もあった)
 午後も同様の作業を3時過ぎまで行い、その後は寺畑地区の横を流れる小貝川の見学に向かった。小貝川沿岸の道路は4~5mほど高くなっており、堤防の役割を担っている。この道路から寺畑と小貝川の両方を眺めると、小貝川の水面の方が寺畑の地面よりも上であることが分かる。近くに水門もあり、寺畑地域の人々が水害と戦いながら築いていた歴史が偲ばれる。
 その後は公民館に戻り、総会に参加した。総会の後には懇親会が開かれ、寺畑地区の方たちとの親交を深めた。
 当初懇親会は8時までとなっていたが、その時間を大幅に過ぎ、我々が寺畑を後にしたのは9時過ぎであった。しかし秋葉原には10時ごろには到着しており、改めて寺畑と東京の近さを実感し、同時にこんな近い場所なのにここまで環境が違うものなのかとも驚嘆した。

報告日:2014年4月21日

内藤 久義

 当日、風は冷たかったものの、前日の雨天から一転し晴天に恵まれた。小林教授から研修地周辺のレクチャーを受けていたが、実際に当地を訪れると、筑波山が遠望される広々とした耕作地に恵まれた関東平野の典型的な農村地帯であった。小貝川、鬼怒川の二川に挟まれた肥沃な土地で、農作だけでなく河川を使った船運により、東京(江戸)との物資の流通も戦前までは盛んに行われていたという。
 事前研修を受け入れていただいたのは「NPO法人 古瀬の自然と文化を守る会」(寺田義雄会長)である。つくばみらい市に残る自然環境と文化を守り、小貝川の旧河川(古瀬)を復元し、昭和30年代の農村環境を都市住民にも体験学習してもらうことを目的とする団体である。その主旨のもと、都市部の子供や学生達を受け入れ、農業体験だけではなく、生物観察、キャンプ、川遊び、清掃活動などに取り組んでいる。

 小林教授は、今回の事前研修では、「古瀬の自然と文化を守る会」の手伝いをするだけではなく、そこで活動する地元の人々とコミュニケーションを持ち、様々な話を聞くことの意義を強調されていた。自然を守る会のメンバーは60代、70代の方が多く、古瀬の昭和20〜30年代の環境や子供時代の遊びなどの話を聞くことができた。
 地元で設計の仕事をしている70代の方に伺った話が印象的であった。子供の頃は小貝川に入って足で川底を探っていると、江戸時代の古銭や陶器の破片などが出て来たという。これは前述した、江戸との船運が行われていたことを裏付けるものであろう。また、釣りと鳩の飼育を趣味とする方で、近年はブラックバス、ブルーギルなどの外来種の魚が増えて、在来種のヤマメやウナギ、ドジョウが捕れなくなってきたこと、その反面、2006年までレッドデータブックに記載されていた保護対象種であったオオタカが非常に増えて、鳩を放鳥するとほとんどがオオタカの餌食になってしまうことを嘆いていた。それまでは森林地帯に生息していたオオタカであったが、保護政策により人を怖がることなく里山に進出してきたことが考えられる。外来種と保護種の狭間で自然環境が微妙に揺らいでいる。

 研修地周辺をメンバーで散策しているとき、中島教授が小川の傍らに二十三夜塔を見つけられた。二十三夜塔の嚆矢は室町時代にまで遡るが、十八世紀から昭和初期まで盛んに行われていた月を信仰対象とした講組織で、勢至菩薩を本尊とする。月齢二十三日を忌み籠もりの日とし、月の出を待って共に飲食をするもので、その供養として塔を建てたものである。この塔の存在から推測できるのは、当地において講という宗教を母体とした地域的結束があり、塔を建立する財力を持っていたということであろう。寺畑は文化的にも経済的にも豊かな資源を持っていたのではないだろか。

 現地での作業は杉の丸太材の皮むきをするグループと、皮を剥いだ丸太を使って田圃におりる階段に手摺を作るグループの二班に別れて作業を行った。皮むきは鎌を使って杉皮を剥いでいくものであるが、刃を当てる角度によって、一度に剥がれる量が違ってくるので苦労をしていたようである。
 手摺作りはこれまで設置されていたものが老朽化してきたので、新たに木材を換えて作りなおすものである。手摺を支える支柱と、手摺本体になる杉丸太をノコギリで切断し、支柱の先端をナタで尖らせる。尖らせた支柱をカケヤ(大きな木槌)で打ち込んでいくのだが、ノコギリやナタをはじめて手にする学生も多いようで、作業は遅々として捗らない。打ち込んだ支柱に手摺となる丸太を番線(太い針金)で結束していくのだが、これもしっかりと縛ることが難しい。「古瀬の自然と文化を守る会」の寺田会長をはじめスタッフの方に、丁寧に指導をしていただいた。予定の三カ所の手摺は二カ所しかできなかったが、午後3時30分、無事に作業を終了した。
 終了後は「古瀬の自然と文化を守る会」の総会、その後の懇親会に参加させていただき、スタッフの作った料理に舌鼓をうった。寺畑でとれたヤマメの煮付け、ノビル、タケノコなどがならび、楽しいひとときを過ごした。懇親会は会の人たちと対面で話す機会でもあり、当地の歴史や子供の頃の遊び、また農業の今後などについて話を伺うことができた。

今回の事前研修では、「古瀬の自然と文化を守る会」の方々のあたたかいもてなしに感激する一方、研修といえども自分たちがもう少し役にたつような作業ができなかったかとの後悔もある。はじめて体験する作業ばかりで、とまどうことも多かったが、これは何度も現地に通い作業を習得することで解決していくしかない。「古瀬の自然と文化を守る会」の受け入れ態勢は万端であるが、これに甘えるだけではなく自分たちも会にフィードバックできるものを身に着けたいと痛感した。

報告日:2014年4月21日

那 希芳

 場所は茨城県つくばみらい市寺畑集落であり、秋葉原駅から1時間ちょっとで行けるので、東京都内からのアクセスがたいへん便利である。私たちは朝9時40分小絹駅を出発し、そこから約2キロ歩いて10時頃に到着した。
 到着後「古瀬の自然と文化を守る会」の事務局長小菅新一さんの指揮のもとで、杉の皮を剥くグループと階段の手すりを作るグループに分かれて、先生や学生のみんなはそれぞれ作業の学習に励んでいた。わたしは杉の皮を剥くグループで作業をしていた。やはり「言うは易く行うは難し」なので、最初は要領を得られず、試行錯誤を重ねていた。特に鉈(なた)と鎌(かま)を初めて手にする人がほとんどであり、その使い方を覚え、使いこなすまでには時間がかかった。だが、道具に慣れ作業に馴染むに連れ、みんなはその作業の楽しみを味わうことができた。みんなが「杉の木って皮を剥くとこんなにつるつるなんだ」「本当にきれい」と賛嘆の言葉を述べていた。作業をしながら、地元の方の知恵を教わることができた。たとえばよい木材を得るには木の「時」を知らなければならない。ある季節にしか切り出しや皮むきはできないことなど。この作業を通して、われわれは自ら自然との触れ合いを体験でき、正しい自然との付き合い方について考えさせられた。
 地元の方と会話をしながら作業に励んでいて、あっという間に昼食の時間になった。近くにある公民館にて、小菅新一さんの奥さんをはじめする地元の方の手料理をいただいた。昼食はカレーライスで、ご飯はとても美味しかった。そのご飯は「古瀬の自然と文化を守る会」が去年作った無農薬・無化学肥料の米を使っていると、ある方が教えてくださった。シンプルで美味しい食事をいただきながら、エコ農業の貴重さを改めて考えることができた。
 午後は杉の木の皮を剥く作業を継続し、みんなは熟練するに従い、スピードも出来栄えもよくなっていった。その仕事が一段落したところで、小菅新一さんたちが行っていた池の縁の補強作業を手伝い且つ見学した。その池は、夏の間に田んぼにいた魚たちを迎えて、冬の間の魚たちの居場所となるものであった。「古瀬の自然と文化を守る会」は人間と自然との共生をあくまでテーマとし、田んぼに生息する生き物にまで気を配っていた。作業を見学する間、小菅新一さんのクレーン操縦がとてもうまく、魔術師のように、木の杭の一本一本を池の縁に打ち込んでいた。その熟練は日々の作業から鍛えられたに違いない。
 その後みんなで田んぼの近くを流れる小貝川を見学してきた。都内の河と違い、小貝川の岸は自然のままのもので、草木が茂っていてまわりの景色がとてもきれいだった。その後公民館にもどり、午後5時から「古瀬の自然と文化を守る会」総会が開かれ、みんなで傍聴した。中でも印象的なのは会の幹事の言葉「エコミュージアム」である。それは外部の人にただ見てもらうだけではなく、自ら道具を手にして作業を体験し、そこから楽しみや関心を育ててもらうことである。そのことによって、傍観者の立場ではなく、農業の物事に即した発想が生まれるのではないかと、わたしは考えさせられた。
 6時から懇親会が開かれ、「古瀬の自然と文化を守る会」や寺畑集落の方々と歓談を交えることができた。話を聞いて感じたのは、地元の方には農業に長年携わってきた体験から生まれた「哲学」や「思想」があり、それらを我々がもっと傾聴すべきだということである。コミュニケーションの仕方や、双方の立場や生き方の違いから来る完全理解の難しさはあるにしろ、絶えず交流をしていくことによって、間の溝を埋めて共に生きることができると、自信を持って進めていくべきだと改めて感じた。やや抽象的な話になったが、具体的にいうと、「古瀬の自然と文化を守る会」の活動方針や活動内容に、我々はどう関与していき、何を提供できるか、さらに考えていくべきだと思う。今後「古瀬の自然と文化を守る会」との交流や活動にも出来る限り参加していきたいと思っている。

報告日:2014年4月23日