‘The Universal Occidentalization of Etiquette and Language’: Pop Music and the Contradictions of Imagining Contemporary Asia”報告 城間 正太郎

‘The Universal Occidentalization of Etiquette and Language’: Pop Music and the Contradictions of Imagining Contemporary Asia”報告 城間 正太郎

日時
2014年6月25日(水) 18:10-19:40
場所
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3
講演者
Professor Wee Wan-ling (Nanyang Technological University)
主催
主催:東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)「多文化共生と想像力」教育プロジェクト

シンガポールの南洋工科大学から、東アジアや東南アジアにおけるグローバル化及び近代、そして文化生産に関わる問題をご専門の一つになさっているWee Wan-ling先生をお招きして開かれた本講演会では、ポップ・カルチャーに見る新しい「アジア」像がテーマとなった。以下、Wee先生のご講演及びその後のディスカッションをごく簡潔に振り返る。

今、アジアのポップ・カルチャーといえば何を指すだろうか。一昔前なら、それはJ-popを意味していた。だが、1990年代末以降アジアでトレンドとなっているのはJ-popではなくK-popであり、しかも今では遠くアメリカの地にも一定数のファンを獲得するK-popの勢いは、全盛期のJ-popを遥かに凌ぐといえる。

Wee先生は本講演会で、「アジアは一つ」の言葉で有名な東洋美術史家岡倉覚三(広くは岡倉天心という雅号で知られている)(1862-1913)へも言及なさった。アジアを中心に見られるK-popへの熱狂は、岡倉の語った「アジア」が日本を置き去りにしつつ現実化したことを意味しているのかもしれない。このようなK-popの国際的な受容は、韓国の躍進と同時に、人々の価値観が多様化したことを意味している。周知のように、日本においてもK-popファンの数は少なくない。

レクチャー後のディスカッションではいくつかの興味深い話題が出たが、ここでは、華々しい活躍を見せるアイドルたちの一部が「アイドル産業」にいわば使い捨てにされている事実の指摘を書き留めておこう。

市場のグローバル化と手をつなぎながら人々に夢を運ぶアジアのポップ・カルチャーは、アジアに生きる私たちの新しい現実の写し鏡か、それとも単なる儚い夢か。そして、そこに「西洋化」(occidentalization)されない「礼儀作法」(etiquette)は残されているのか。本講演会は、こうした問いを誘発する意義深いものであった。

報告日:2014年7月3日