時代精神としての寿司:食文化浸透のあるかたち 報告 今井 祥子

日時
2014年2月28日(火)16:00−17:30
場所
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2
講演者
Professor Irmela Hijiya-Kirshnereit (Free University of Berlin)
主催
東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)「多文化共生と想像力」教育プロジェクト

去る2014年2月28日、東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2において、ベルリン自由大学東アジア研究院の日本研究科に所属されるイルメラ・日地谷キルシュネライト教授による「時代精神としての寿司:食文化浸透のあるかたち」と題した講演会が催された。日本の歴史や文学研究、アジア研究、英文学などの研究者をはじめ、学生なども多数参加し、講演後の質疑応答なども活発に行われ、大変有意義な時間となった。

 キルシュネライト教授は、異文化としての日本の寿司という食べ物がどのようにドイツ社会へと浸透してきたのかという問いを立て、寿司がドイツにおいて現代のライフスタイルのシンボルとして機能するようになった変遷を解説した。もともと日本文学研究に造形の深い本教授は導入として、近代文学テクストをながめるとき、自らの知るフィルターを通してはじめて口にする外国の食べ物である日本食を描写することがいかに困難な試みであったかを、イワン・ゴンチャロフの『オブローモフ』などの例を上げて指摘した。「翻訳」をキーワードとすると、寿司がドイツに紹介されたのは1912年刊行のチェンバレンによる『日本百科事典 Things Japanese』であると考えられ、また日本文学テクストにおける描写としては志賀直哉の『小僧の神様』のドイツ語訳が最も古いものと考えられる。

 1960年代アメリカ合衆国の西海岸において寿司ブームが始まって以来、1990年代にかけてハリウッド映画において高級品としてのイメージが定着していた日本食が、中華料理や韓国料理、タイ料理など他のアジア系の食べ物と同様にしだいに大衆化し、特別で高級というイメージから、スーパーマーケットのデリコーナーでも日常的に並ぶ拡大解釈された「スシ」として流通するようになってきた(以下、国際化をたどった広義の意味としてスシとカタカナ表記する)。2000年代以降のドイツの事情もこうした影響を受けて同じような変遷をたどってきたと教授は指摘した。

 一方、もともと寿司の輸出国である日本においても、寿司のハイブリッド化がすすみ、カリフォルニアロールなどのもともと外国由来の巻き寿司やタルタルソースをのせた斬新な寿司、また菜食の寿司なども紹介されるようになった。こうした動きに対して2006年に農林水産省は、「正当な」寿司店のみを認証するという通称「すしポリス」と呼ばれる制度を考案したものの、グローバル化の時代の流れには逆らえず立ち消えとなった話は著名である。

 スシのイメージは次第に食べ物そのものから離脱し、スシが好きだというセレブリティの言説や好意的なイメージが先行して、積極的にメディア広告などで使用されるようになった。このようにスシは時代精神を担うイメージとしてしだいにその形骸化が進んできたともいえる。キルシュネライト氏は例としてドイツでの運送業や銀行などのイメージ広告を紹介し、金銭的な豊かさのイメージやライフスタイルとしてのスシが宣伝広告にさかんに利用されている状況を説明した。教授は他にも、食器メーカー、自動車産業などのかならずしも食品としてのスシには結びつかない広告の例を紹介したり、またドイツのGoogleでsushiとlifestyleというキーワード検索をした結果などのデータをしめしてこうした時代精神としてのスシのイメージの先行の実情を明らかにした。

 キルシュネライト教授はこうしたスシのイメージの多用の背景には、総じてスシの、ひいては日本文化全体の肯定的な評価があると分析する。さらにスシにはなにか空想や想像力を刺激するような力があるとして、スシのイメージをそのまま転用して、消しゴムやスイーツ、クッションやiPhoneケース、実態のないハンドバッグのブランドロゴ名に至るまで、他の物に置き換えたような商品がいくつも考案されていることを指摘した。こうした商品が受け入れられていること自体が、いかにスシが現代のドイツの人々にとって一般化してきたかということの表れであろう。

 スシそのものの変化も目覚ましい。ニューヨークにあるガリのスシというレストランの創作スシ、ミラノのパスタスシなど、スシそのものの展開も多様化している。ベルリンにおいては地元の食材を用いたスシなども人気を得ている。

 正しい寿司を日本の伝統食として保存するべきという議論はもはや過ぎ去ったといえ、それよりは、食文化、食そのものを楽しいもの、プラスのイメージを普遍的にもたらすのに有効な手段として肯定し、それを活かした食の今後の発展ならびに日本食の多様性を許容する展開が望まれるとして、講演を結んだ。

 会場からは様々な興味深い質問が投げかけられ、建設的な質疑応答が行われた。特に、歴史的な背景として時間軸について、なぜ日本が西欧料理を受け容れるほうが西欧側が日本食を受容するより時期的に早かったのか、そして、西欧側が日本食を受け入れる際に、なぜ特に寿司が選ばれたのかという問いが出た。日本が西欧化を行う際に西洋料理を取り入れることが必要であると考えられたこと、またその背景にはイデオロギー的な意味合いがあり、オリエンタリズム的な権力関係が存在していたことなどをあげた。

報告日:2014年5月19日